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忘れられてても会う楽しみ

来月末、渡嘉敷に住む師匠と会うことになった。7年ぶりのことだ。
師匠と言っても私が勝手に呼んでるだけで、何かを教わったわけではない。
二度、ふたりで飲んだ付き合いだ。

7年ぶりに師匠に電話した。私と飲んだことは忘れていたが「佐久本が紹介してくれた子だろ?」と概要はギリギリ覚えていてくれた。

久しぶりに渡嘉敷へ行くと話すと「飲もう、飲もう」と覚えてない私に言ってくれ「楽しみが増えた」と何度も繰り返す。
ハートをわしづかみされる人懐こさだ。

師匠を紹介してくれたのは佐久本先生。
東京オリンピックで空手の金メダルを獲得した、喜友名諒選手(今は引退)の師匠である。

左:喜友名諒選手 右:佐久本先生
 

佐久本先生は私がよく行く沖縄料理店(江戸川区)の主人の恩師。東京出張の際、お店に寄ってくださり杯を交わした。
他界してしまった友人の空手の師匠でもあった。不思議と縁がある。

飲んでいる席で座間味島が好きだと話すと「俺の友だちが渡嘉敷にいるから渡嘉敷に行きなさい」と言い出し、止める間もなく電話をかけ始めた。
強引に手渡された電話に「初めまして。今度、渡嘉敷に行きますね」とオドオド話す。
「来るとき電話してね〜」とのん気な返事が返ってきた。これが師匠との出会い。

果たして真に受けていいのか迷ったが、案外こういう縁話には乗る方だ。
忘れられては大変と数カ月後、本当に渡嘉敷島へ行った。
師匠は自慢の豚肉を持って待ち合せの居酒屋に現れた。歩くと1時間以上かかる離れた集落からヒッチハイクでやって来た。大したものだ。
そして居酒屋の店主に「これこの子に焼いてあげて」と頼む。厨房を私用する。おもしろいぞ、この人。師匠のファンになった瞬間だ。

師匠の豚肉はひっくり返るほどおいしかった。
東京のブランド豚、東京Xの立ち位置がグラついた。
肉にこんな表現を使うのも妙だが、透明感があり上品な香りの豚肉だった。脂まで愛しい、絶品だった。
この豚は量産が難しく、市場に出回ることはなかった。正に幻の豚となった。

島にはタクシーが少ない。
帰りを心配する私を意に介さず、師匠は誰かを迎えにこさせて帰っていった。
全く元気で自由な人だ。

師匠は85歳になった今も農業をしている。
チャレンジ精神旺盛な方で、島で初めてキクラゲ栽培に成功したり、苦労の末に屋外での菌床シイタケ栽培に成功して新聞に載った。
これが昨年の話なのだから、本当にエネルギッシュな人だ。

初めて会った翌年も渡嘉敷へ会いに行った。
夕飯を食べてから連絡すると話していたのに、師匠はお構いなしに私の泊まる宿へやって来た。
食堂で夕飯を食べる私の前に座り、宿の人に「俺にも魚。あと酒。」と頼み、夕飯はいきなり飲み会になった。
宿の人も師匠のことはご存知のようで、魚と水割りをすんなり持ってきてくれた。
島人の柔軟さに驚いた。
翌日、「先生とはどういうお知り合いなんですか?」とキッチリ確認はされたが。そりゃそうですよね。
島でどれ程有名なのかはわからないが、フィリピンからの実習生を受け入れたり、農業に関して様々な取り組みをしている。
新しくできた店に顔を出して応援したり、人情味溢れる人だ。

師匠との飲み会は、大して話しも噛み合わず、共通の話題で盛り上がることもなかった気がするが、とにかく随分年上の師匠とふたりで飲む時間が楽しくてたまらなかったことだけは覚えている。
この日は二次会でバーにも連れて行ってくれた。

顔もわからない人から7年ぶりに電話がかかってきて会おうと言われ、会う約束をする。
覚えていない相手に会うことが楽しみだと言う。
なかなか真似できないコミュニケーション力。
やっぱり師匠は師匠だ。
話していてすっかり私も元気になった。
渡嘉敷行きのワクワクがドーンと上がった。

師匠の土地に生えたガジュマルがとんでもなく大きく育っているらしい。
記事から一年経った現在は更に成長したそうで、ツリーハウスでも造ろうかと考えてると言っていた。
渡嘉敷へ行った時、木登りさせてもらいたいと企んでいる。

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