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カイコと『かかあ天下』の関係!マカピーの日々#0986

マカピーです。
この冬は荒れ模様が予想され、「山の神」は荒れると怖いですね!

関東地方の中ほどに位置する埼玉県北東部にいるマカピーの地域では、夜明け前から「ピッカーン」てな感じで、雲一つなく晴れ渡っています。

そして北から寒風が吹き下ろして電線をピューピュー鳴らせているのでした。

おお、これぞ「空っ風!」

マカピーの生まれ育った群馬のふるさとは、ここから更に80㎞程北西にあたります。

『かかあ天下と空っ風』

上州(「じょうしゅう」は群馬のことです)をさして、よくそう言われるのには理由があったようです。

快晴!日の出!

『かかあ天下』のイメージは一家の主人が奥さんの尻に敷かれる、つまりはコントロールされている様子を指していますが、本当のところはそうではなさそうです。

現代社会でもそうですが、収入を稼いでくる方がなんだか発言権が大きくなるような錯覚に陥りますが、それは大きな間違い!

多くの人が認識している通りで「一緒になり、家庭を持ったらどっちが上でどっちが下なんてことは無い」んですよね。

夫婦で共稼ぎをされている家庭も多いと思いますし、マカピーのところのように無給で奥さんが専門的に家事子供の教育それに老父母の介護をこなしているケースもあるかと思います。

もちろん、どれ一つとして同じケースはなく、どちらがどうと言えないものがあります。

枯草に火がつくと怖いなあ

さて話を「かかあ天下」を戻します。

群馬は世界遺産にもなった「富岡製糸場」で有名ですが、そもそも地場産業として養蚕が盛んだったのです。

かつては日本中で養蚕をしていたのですが、その中でも全国一位の生糸生産量をあげていました。

養蚕は蚕の餌となる桑園を管理しながらカイコを飼育してその繭を出荷する農業で古代から養蚕自体はどこでも行われていました。

ですから、皇室でも「養蚕」は営々と続けられていますね。

明治以降、欧州でのカイコに病気が発生し生糸産業が壊滅状態になりますが、その代替の日本の生糸(シルク)が欧州向けの輸出の目玉となると、一気に量産に拍車がかかり、フランスから前述の富岡製糸場をはじめとする蚕糸技術が発達しました。

更に群馬の風穴を利用したカイコ受精卵を低温保存しての孵化時期の調節や飼育方法にも改良が重ねられ、それが全国に展開してゆくのでした。


おお、ピンボケの富士山!

マカピーが子供の頃の養蚕といえば家族総出の作業も多く、特に「大アゲ」と呼ばれる上蚕(じょうさん)の時期は格別でした。

幼虫であるカイコが脱皮を繰り返し成長すると、それ以上は桑を食べなくなり体があめ色に変わって来るんです。

すると、今度は口から糸を吐き出して繭を作りその中でサナギに変化するのです。

一斉にカイコたちが糸を吐き出し始めてしまうので、一刻も早くマブシと呼ばれる繭を作る場所に入れてあげなければ繭を作れなくなってしまう。

そう、「待ったなし」なんです!

そんな猫の手も借りたい時期に「幼児労働」なんて言う言葉は存在しません。

幼い頃から養蚕農家に育つと、学校に行っていても課外活動は「今日は大アゲだから」といえばだれもが納得して「そうか、頑張れや。オレんちは明日あたりだぜ」という返事が返ってくるくらいでした。

田植えの頃も「今日は田植えなので早く帰りまーす」ってのがありましたが、今では機械化されてしまって腰をさすりながら中腰で田植えをする光景はほとんど消えました。

マカピーは農業学校卒業ですが、話に聞けば今では農家出身の学生ってほとんどいないんですって!

ありゃりゃ、また『かかあ天下』から離れちゃった。


今朝はマイナス2℃、足先が凍える

養蚕も一つの商品作物ですが、米を中心とした農作物の売買による農村部の経済状態に変化が訪れます。

更に、製糸工場で働く女工さんと呼ばれる女性労働者の中でもベテランになり幾台もの機械が担当できる上級者となると高給取りとなったそうです。

こうなると、昔の習慣で酔った勢いで旦那さんが「誰のおかげでおまんまが食えると思ってやがるんだ?」なんて口走ろうものならそのまま、家の外に放り投げだされかねなかったのがかかあ天下の始まりとも言われています。

そして家族みんなで働いて、ひもじい思いをせず年を越せる喜びが農村部には残っていたのだと思います。

旧正月にむけて、マカピーのふるさとでは『まゆだま』をしました。

米粉で団子を作り、蚕の繭に見立てます。

それを木の枝に挿して、床の間に飾ると団子の重みで枝が開き煤で黒ずんだ床の間に花が咲いたような華やかさがありました。

団子は数日もすると乾燥でひび割れるのですが、「どんど焼き」などで焼いて無病息災を願ったり、七輪の上で焼いてみそ汁に入れて食べたりしたものでした。


北側の空も快晴だ!

養蚕も近代化機械化を迎えたと思ったら、ナイロンなどの人工繊維が一般的になるとあっという間に斜陽化してしまい、マカピー家も養蚕から養鶏にシフトしたのでした。

その養鶏(採卵鶏)の経営も機械化してずいぶん投資したようですが、卵価は物価の優等生と呼ばれるほど安いタンパク源のままでした。

マカピー達が独立する頃になると子育ての負担が消えて両親も養鶏を辞めると鳥インフルエンザの発生などが始まり「ちょうど辞め頃」だったとも言ってました。

婿養子で来た父が『かかあ天下』の母と一緒に家を切り盛りした時代は遠い思い出のかなたとなりました。

もうすぐ、亡くなった父の誕生日が来るので『まゆだま』が懐かしくなりました。

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。あと1週間でマレーシアに行きます!

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