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あれはデジタル時代前だったんだね!マカピーな日々#0582

マカピーです。

「え? 500回目のスキって・・・」 noteからの知らせがありました。

noteの記事の配置に関して「自己紹介や代表投稿をトップにする」機能がある事をどなたかの投稿記事で紹介していただき、それに倣ってこの記事をトップにしたのは、とりあえずやってみようと思って試したからです。

もちろん毎日の記事でも沢山の「スキ」をいただけていますが、その代表記事はコンスタントに「スキ数」を伸ばし、この度「500回スキ」をいただけることになるとは・・・とても感慨深いものがあります。

この場を借りて読者の皆様に感謝いたします! ありがとうございます。

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投稿内容には学生マカピーが初めて米国に行き、サンフランシスコからグレイハンド・バスで到着した、アイオワ州デモインのバス発着所での出来事だったのですが、サムネ写真は6年ほど前のベトナムの勤務先近くのバス停だったのは、当時の写真が手元になかったからです。

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あの時に撮ってもらったポラロイド写真はその後どうしたのかしら?間違いなく日本に持ち帰ったはずなのですが、その後の記憶がありません。

群馬のマカピー実家が大改修工事に入る前に私物を片付けるように言われ、埼玉の家に持ち帰った中には見当たりませんでした。

いったいマカピーはどんな姿で韓国人家族の前で立ったのでしょうか?

これから1年間見知らぬ土地で暮らす不安そうな日本の若者が、3月末のアイオワの陽射しに、ぎこちない笑みを浮かべていたのだと思うのですが、それがどうにも思い出せないのです。

マカピーは当時ペンタックスの一眼レフカメラを持っていました。フィルムは時々行くスーパーの近くにあるDPEに持ち込んでプリントしました。

スライドフィルムはコダックのラボに送付する必要がり、後日マウントされケースに入ったものが郵送されてきた記憶があるのですが、それらの写真もいったいどこに行ったのか今は分かりません。

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それ以外にもホスト・マザーだったノーマジーンが撮ってくれた写真の一つに、マカピーがトラクターの座席でハンドルの上に脚を放り出し、帽子を目深に昼寝しているものがあったのは、帰国してから彼女が手紙に同封してきてくれたので手元に残ったのかもしれません。

あのペンタックスはその後、協力隊でマレイシアにいた際に、休暇でインドネシアをひとり旅していた時、スマトラ島北部にあるトバ湖で宿泊したロスメン(安宿)で盗まれてしまいました。

湖畔で水浴びした際に、部屋にカギをかけていたのに盗られたのは合鍵を持っていた宿主の可能性もあったのですが、カメラが消えたことよりも旅先の記録が無くなってしまった事にショックを受け「せめて中身のフィルムだけ置いて行ってくれればなあ!」って思ったものでした。

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そして今回の500回スキ記事を機会に、よくよく考えると今がデジタル時代なのに、それ以前の時代のことを投稿していたことに気づきました。

おそらく「ポラロイド」と聞いてもピンとこない世代も沢山いらっしゃるかと思います!

渡米した当時、学生だったマカピーも「普通の青年」らしく、時間をかけカメラ雑誌とにらめっこし、バイトで手にしたお金で買ったカメラでそれなりに「こだわりの写真」を撮っていたんです。

というか、高校時代からそれなりに写真を撮っていましたが、フィルムが巻けていなかったり、誤って裏ブタを開けてしまって感光させてしまったり数々の失敗を繰り返し、更にはピンボケや露光不足で満足できる写真なんて殆どなかったように記憶しています。

恥ずかしい話ですが、膨大なゴミを作り出していたようなものです。

さすがに大量の失敗プリントに嫌気がさし、ネガフィルムの「ベタ焼き」依頼するようになり、拡大鏡でちゃんとしたプリントにする作品を選ぶようになったのは、やはり写真が「高級」だったからです。

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カメラは持ち運ぶバッグから三脚、ストロボ、連射ドライブだけでなく、フィルム、現像代、プリント代、それを保存するアルバム代とどこの家庭でもかなりの出費となっていたでしょうね。

カメラ雑誌の新機種の機能に心躍り、やっと手に入れたカメラを保管するケース、レンズも増えてくるとカビが発生しないように乾燥シリカゲルをフライパンで炒っては・・・と、お金のかかる「趣味」だったと思います。

更にこだわる友人は自宅の一室に暗室を作り、写真現像装置を持っていて、「カメラが好き」というのは相当な投資を必要とする「趣味の世界」だったのでした。

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マカピーの自宅の押し入れの中にスライド写真がケースに入ったままです。そもそもポジフィルムを映写するスライド投影機もありません。

大学の研究室には投影機がありドーナツ型のカルーセルの中にマウントしたフィルムをセットして、常時研究発表を行っていました。

その場合は「青焼き」という簡易現像技術がありました。要するに白黒のネガフィルムを見やすいように背景を青くすると白抜きの見やすいスライドが出来上がるのです。

発表原稿を固定撮影して、そのフィルムを暗室で容器に入れアンモニアで固定処理し、はさみで切り取りマウントして・・・と今では考えられない時間を要する作業でした。

しかも慣れないと左右上下が逆にセットされ発表で恥をかかないよう、発表前に点検するという手間までかかりましたが当時はそれが「普通」の時代だったんですね。

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そしてマカピーも、そうした経験を積むことで技術をいろいろ学ぶこともあったのは確かです。

ところが、デジタルカメラの登場で状況が一転します。

デジタル技術導入に乗り遅れた超優良企業だった米国コダック社はあえなく潰れ、フィルムが世の中から消えてゆきました。

いまやフジフィルムなども業態を変えて製薬会社?になっている現状です。

スマホのカメラのピクセル数は年々向上して動画から写真を切り取れるほどに激変している中で育った世代が、パソコンさえ使わずに画像処理をしたり動画編集を瞬く間にやりのける時代に目を見張ります。

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それでも南アに来てダーバンで博物館などで100年以上も前の古い写真をみるたびに、それを撮ったカメラマンの高い技術を感じるのでした。

そしてマカピーはこれからのデジタル画像は、一体どんな保存をされるのでしょう?って考えるのでした。

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。写真はその時代を反映します









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