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母と一緒に

春先になると母の命日が近づくせいか
なんとなくモヤッとする
母に対する〝介護〟と言えない〝介護〟を
思い出してしまうから
〝忙しい〟の幟を立てて結局いろんな事から逃げて
充分な事を何一つやらなかった
ろくでもない娘だった
〝そんな事ないよ〟と言ってもらえても
正直痛ましい気持ちは変わらない
ブログでわかったような事を書き連ねていた
〝痛さ〟もひどいものだ


昨日そんな気持ちがふっと和らいだ

緑色の公衆電話を見た時
そういえば…と思い出した事がある

まだ携帯電話など誰もが持っていなかった頃
母が甲状腺腫の手術をした
手術をした日は身内が泊まるという時代
夜に母の呼吸とにらめっこしながら本を読み
手持ち無沙汰な時間を過ごしていた
……あ、mihoに電話をかけよう
と思いついた
10円玉100円玉をかき集めて病院のロビーに向かい
公衆電話で電話をかけた
誰もいない夜の病院のロビーに
コインが滝のように落ちる音が響く
神奈川と愛媛だから公衆電話では無理があった
でも一言二言言葉を交わし病室に戻った時の安堵感
家にいてくれたmihoにどれだけ感謝したか…
母の手術入院で心が傷んでいたんだなと思った


そして母とのいろいろな事を思い出した
手術の付き添いや通院の送り迎え
更年期障害やらでしんどそうにしていた時には
家事全般を全てやっていた

どんどん遡って保育園時代
手をつないで声を張りあげ歌いながら歩いた
一緒にバスに乗り電車に乗り
私の運転で遠出もした

……なんだ…結構いろいろやってあげてたな

それで勘弁してもらえてるかな
あの〝介護生活〟の1年間
人任せ介護の1年間を勘弁してもらえてるかな

そう思った

ちょっと泣けた





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