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会えて嬉しい! 2

保育園にて

私の保育園時代だから半世紀以上も前の話
まだ白黒写真がよく似合う頃

こういう書き方をすると
物凄く前の話のような気がするけど
誰もが感じているように
30代 40代 50代なんてあっという間
この先ももっと尚更速いんだろうなって思う

母は専業主婦だったから
預ける時間がどうのって訳ではなく
一番近かったのがその保育園だっただけの事

それも信者ではないけどキリスト教系の保育園
父方の祖父がクリスチャンだったから
父はなんだか嬉しそうだったらしい
自分自身が信心した訳でもなく
下世話な言い方をすれば
経営が教会というだけなのに

でも幼児体験というのは大切で
今でもいくつかの子どもの讃美歌は歌えるし
祈りの言葉も怪しい所はあるけれど
ほぼ完璧に最後まで暗唱できる

反面
そんな自分に違和感があって
キリスト教を語る人を論破しようと
食って掛かった事もある

今となっては全てどうでも良い事だけど

私の保育園時代の記憶は両極端
どちらが事実だったのか
どちらも事実だったのか
母に訊きそびれたまま母は他界してしまったので
わからない

1つの記憶では…

何かをそれぞれが制作中
私は自分の作業もせずに1人1人の傍へ歩いて行き
何かしら文句のような事を言って廻っていた
ある男の子には
〝あんた誰よ〟〝私 あんたの事知らないんだけど〟
と言い 半泣きにさせてしまっていた

その時の情景

匂い
空気感
全てはっきりと明瞭に思い出せる

なのに
もう1つの記憶の中の私は
顔を上げる事も
先生の問いかけに答える事もできない女の子

だんまりが始まるとテコでも動かない
食べずに持って帰ったお弁当を見た時の
母の寂しそうな顔を覚えてる

そんな状態になった時に
いつも寄り添ってくれていた先生がいた

一番ワクワクして記憶に残っているのが
先生がだんまりで座っている私の横に座り
粘土で小さな直方体をいくつもいくつも作って
小さな車輪を引っつけて
それを絶妙な間隔で並べて行き
列車を作ってくれた事

きっとその時の私の様子を見ていた人がいたら
少しずつ顔が上がって
だんまりのまんまだけど
その目がキラキラし始めたのを
見る事ができたと思う

そんな時はどんな言葉も届かないっていう事が
その先生にはわかっていたんだと思う
いつも黙って何かを作ってみせてくれた

その列車が忘れられなくて
頑張って自分で作っていたのも覚えている
何度も何度も…
子どもには綺麗な直方体が難しかったのか
先生が作ってくれたような列車は
結局作る事ができなかった

一度 我が子たちが粘土を使い始めた時に
〝あの〟列車を作ってみた
もちろん直方体なんて簡単に作れた
車輪の丸い形も先生より綺麗だったかも知れない
でもあの時の
ワクワクしてキラキラして見えたあの列車には
全然ならなかった

先生はあの列車をいったいいくつ作ったんだろう
だんまりになって作ってもらった子どもたちは
みんな覚えているんだろうか

言葉よりも大事な事を
あの時に教えてもらえた気がする

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