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愛を知った大人は子どもを苦しみへと導く


有り難さ

"有り難さ"という気づきを、子どもから大人になる過程や、大人になった後のどこかのタイミングで得る。

どれだけ、「うぜぇ」と言葉にしてきた人間も、「死ね」なんてドラマのワンシーンのように吐き出してきたことがある人間も、

むしろ、そういう人間の方が、照れ笑いを覚え、有り難さを口にする。

「今こうして、生きてるのも…」

なんて、たいそうな事を語りながら、

「親のおかげで」

そうやって感謝を口にする大切さを説き、

「みんなに生かされてるんだなって…」

一人では生きては来れなかったと、これまでを振り返る。


「いつか分かるよ」

子どもは、人生の"どこか"で、"なにか"を見つけた親を横目に、

「鬱陶しい」と吐き捨てる。

その小さな感情で済んでいる一言を親が拾い上げ、いろんな角度から、子どもに向けた言葉を続ける。

やがて疲れた親は、「あんたも、いつか分かるよ」と、ぼんやりとした言葉を解き放つ。

子どもは、

わからなくたって良い
わかってたまるか
なんだよ、わかるとかわからないとか、
説明もできないくせに
愛とか、優しさとか、
うんざりなんだよ、そういうの

何があっても笑顔で頑張れよ
って強いられているみたいで。

そう、心の中で毒を吐き、グッと堪えた。


愛とか優しさではなく

「お兄さんの好きなタイプは?」

Barのカウンターで飲んでいると、そう話題を振られた。

好きな、タイプ
好きな、人間

「愛とか、感謝とか、そういうのじゃなくて」

バーテンダーのお姉さんの襟元を見ながら言葉を続ける。

「論理的に、建設的な話をできる人ですかね」

そう答えて、視線を自分のグラスへと落とした。

論理的
建設的

そう思っていないわけではない、
しかし必ずしもそう思っているのかと
問われると、

そうではないのかもしれない。


愛が詰まったような

「私、愛がたーくさん詰まったような家庭を築くことがタイプなんです!」

そう言って、ジントニックを飲み干した。

アルコールが身体に回っていく。

「お姉さん、同じのください」

グラスを渡し、手際よく作られていく工程を眺める。

「前一緒に来てた人、ほら、あの、優しそうな人、あの人といい感じだったじゃないですか〜」

「あー、あの人。良かったんですけど、ありがとうって言えないタイプなんですよね〜」

私はそう言いながら、彼と1日を過ごし終わる瞬間を思い出した。

うん、いつもないんだよな。
たった一言。
ありがとうって、言葉が。

「えー?逆にそんな人いるの?珍しくない?ありがとう言えないって」

お姉さんがそう言って笑っている間に、私の2杯目のジントニックが出来上がった。

「はい、お待たせいたしました」

身体の中心部分から言葉が溢れる。

「ありがとうございます」


なんとなく

「わかんないけどね、わかるきがするんだ、わたし」

「愛とか優しさとか、感謝が大事とか、徳を積むとか、そういうの、わかんないけどね」

目の前の彼の瞳に少しだけ潤いが付け加えられた。

「でもね、わかんないけど、なんとなくはわかるの」

「だってそりゃ、バーカバーカ!て叫ぶより、ありがとう大好きだよー!って叫びたいもん」

「だけど、そうも言ってられないトキを過ごしてきたのも事実でしょ?」

そう言ってもう一度彼の目を見ると、左目から一筋の透明な水が流れていた。

「だからね、私は希望も込めて、愛に満ちた、愛がたくさん詰まった、家庭を作って、」

「作るために、こうやってまずは目の前の人を大切にするって決めてるんだ」

彼が鼻を啜る音がリビングに響く。
私は、彼の喉に何か、言葉が有ることをなんとなく、感じる。

彼が唾を飲み込んだり、
瞬きをしたり、
少し力を入れて息を吸ったり、

そういう音だけが、静かに伝わってくる。

「俺も、」

「うん」

「俺も、わかんないけど、というか、わかりたくないって思ってたんだけど」

「うん」

彼が今、昔という時空から言葉を紡ぐ。

「でも、今は、冷静とか、論理的とか、話し合いとか、そういうのだけが人生というか、生き方じゃないって分かるっていうか」

「うん」

彼は大きく息を吸い、続ける。

「なんかわかんないけど、いま、」

「うん」

「生まれてきてくれてありがとうって、思ってる、俺」

「うん」

「私からも、生まれてきてくれてありがとう」



さいごに

此処に、説明書きを付け加えるか凄く迷いましたが、ちょっと書いてみます。わからない抽象的なものを好むくせに、こうして、わからない人を想像して言葉を付け加えているのって凄く滑稽だなと自分でも思うのですが。

みんなどこかで、大切なものを見つて、それらを信念だとか、気づきだとか、そういう言葉を添えながら、語っていくものだと思います。

例えば親から、「人の嫌がることをしてはいけない」と教わり、それを忠実に守ってきたことがある人もいるだろうし、うるせえななんて思いながらも大人になってからその教えは正しかったのだと気づいた人もいるかもしれません。

私が今回表現したのは、「愛を知った大人」の言葉足らず具合です。

感謝が大事、愛が大事、そりゃ、これを見てる皆さんも、そんなことわかってると思われるかもしれません。ですが、ずっとそれらを守り、生きることなど不可能なのではないかということも、子どもながらに知っていたと思います。

でも、大人はその説明を省きがちですよね。子どもに言ってもわからないと思ったり、ああ言えばこう言うと思って諦めたり。愛も感謝も大事だけれど、何よりも目の前にいるあなたが一番大事だよということを伝え忘れたり。

そして、子どもにとって、”そういう”言葉自体へのアレルギー反応が生まれていくことにも気づきにくかったり。

こうして、私がここに説明を書くのは、大人が悪いという切り取り方をされることを恐れているからです。

そうではなくて、私たち一人一人がこの連鎖の最中にいるということを、考えているまでです。

そして、自分の体験談を書こうとしたら、短編小説のような構成になってしまったのですが、

愛とか優しさアレルギーのロジカル男性と、
愛がたくさん詰まった夢を持つ女性。

彼らは、Barで出会い、いつしか結ばれ、そして、それぞれの思う、いや、なんとなくしか分からないし、言葉にもできないけれど、”愛”に出会うのです。

本当は、愛ってそうやって、なんか分かんないものだったはずです。
偉そうに何かを語る権力者も。
初めはそうして、言葉にできなかったはずなのに、いつしか、必ずこうだから、絶対こうだから、これだけが大事だから、そういう言葉を使いながら次世代へと説いていくのです。

そんな、世間や、私たちが暮らす連鎖の中身を想像し、書いたものです。

読んでくださった方、ありがとうございます。


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