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【映画評】 ジュリアン・モーリー&アレクサンドル・バスティロ『屋敷女 ノーカット版』フレンチ・ホラー四天王

ジュリアン・モーリー&アレクサンドル・バスティロ『屋敷女 ノーカット版』(2007)

ベアトリス・ダル主演の本作。2007年の日本初公開時には、残虐な描写のため大幅な修正とカットを余儀なくされたという作品である。今回の上映はノーカット版。初公開時の修正版をわたしは見ていないので、ノーカット版との違いは分からない。

主演のベアトリス・ダルはジャン=ジャック・べネックス『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(1986)で世界に衝撃を与えた俳優だが、本作は彼女の第二の代表作となったという。

『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』以外にわたしが彼女の出演作を見たのは
ジャームッシュ『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991)
ギャスパー・ノエ『ルクス・エテルナ 永遠の光』(2001)
→(内容については後述)
だと思う。
『ナイト・オン・ザ・プラネット』を例外として、怪優ぶりが年代を追って露わになる俳優である。本作はその極致とでも言える作品である。

まず、物語前半部分を要約しておこう。

クリスマス・イブの真夜中。
4ヵ月前に夫を亡くし出産を翌日に控えた妊婦サラの家に、見知らぬ女が電話を借りたいと訪れる。奇妙なことに、女はサラの名を知っている。不審に思った彼女は断るが、女の態度は強行となり、ついには裏口の窓を破って侵入しようとする。危険を感じたサラは警察を呼び、女は姿を消す。しかし、警察が帰り、サラが床ついたとき、黒い服を着た女がすでに家の中に侵入していることを知る。女は大きなハサミを手に、ものすごい形相でサラに襲いかかる。女は何者なのか?女の目的は一体何なのか?……。

サラを演じるアリソン・パラディは歌手のバネッサ・パラディの妹。バネッサに妹がいたとは知らなかった。バネッサは擦れた雰囲気のする俳優・歌手なのだが、妹のアリソンはしっとりと美しい。
サラを演じるしっとりとした俳優アリソン・パラディと家に忍び込もうとする黒服の怪優ベアトリス・ダル。このキャスティングだけでも二人が作り出すであろう様相にワクワク感を覚える。

本作は血糊の映像で始まる。カメラは道路を舐めるように自動車事故の現場に接近し、血塗れの女と男を捉える。男はすでに死んでいるようだが、女は微かに息をし、そして身重のようである。車の追突事故だ。

と間もなく、シーンはクリスマス・イヴの産婦人科の診察室に切り替わる。ベッドに先ほどの血塗れした女が横たわり、腹部のエコー検査を受けている。医師は明日が出産日、生まれそうになければ手術を行うと女に告げる。冒頭の事故現場の二人は、診察を受けている女サラとその夫であるとわかる。それは交通事故から4ヵ月後のことである。

その後のストーリーは要約で述べた通りなのだが、なにゆえにベアトリス・ダル演じる女が妊婦サラの家に現れ、ハサミでサラに襲いかかり、そして彼女のお腹を引き裂こうとするのか。

ベアトリス・ダル演じる女をここではハサミ女と名づけておこう。サラの家に駆けつけた警察官や母親もハサミ女の犠牲になるのだが、やがて判明するのは、サラの自動車事故の相手の車を運転していたのがハサミ女なのだ。事故当時、ハサミ女も妊娠していたのである。彼女は死んだはずなのだが、事故でお腹の子を奪われた怨念が霊としてサラの家に現れたのである。サラの子を自分の子として育てたいハサミ女の情念としての霊。そのためにサラに襲いかかり、お腹を引き裂き赤ん坊を引き出そうとしたのである。そして映画は、サラのお腹から引き出した赤ん坊をシーツに包んだハサミ女が、胸に赤ん坊を抱いて揺り椅子に腰かけているシーンで終わる。いわば、交通事故で胎児を亡くした情念の亡霊として屋敷に棲まう女となるのである。

フランス人が母としての情念をサイコホラーとして撮ったこと、それはわたしにとり驚きである。ひとりでは見ないで下さいのイタリア映画『サスペリア』は恐ろしいけれどカラッと晴れやかなホラー。日本の『呪怨』は湿度のホラー。アメリカ映画はヒューマニズム満載のホラー。そのいずれもなんらかの解決を見るのだが、フランス映画である本作は情念であるがゆえに解決もなく、血糊は乾ききることがない。

原題「À l’intérieu」は「室内、内部で」という意味だが、本作では、舞台となる「屋敷内」以外に、妊婦の「胎内」という意味もあり、子宮から流れ出る血と血にまみれた亡き胎児を想像してもいいだろう。あっぱれフレンチ・ホラー!

このように考えていると中上健次を思い出す。中上は短編集『千年の愉楽』(1982)で、生と死についてこう述べる。人は「血にまみれて生まれ、血にまみれて死んでゆく」と。もしかすると、フレンチ・ホラーは日本の湿度のホラーと親和性があるのかもしれない。

ちなみに、2000年代のはじめ、フランスはバイオレンス・ショッカー・ブームに沸いたという。それが恐怖のフレンチ・ホラーの四天王である。
アレクサンドル・アジャ『ハイテンション』(2003)、パスカル・ロジェ『マーターズ』(2007)、サヴィエ・ジャン『フロンティア』(2008)、そして本作である。
他の作品もリバイバル上映があれば見たい気がする。

ベアトリス・ダル出演作として先述した
ギャスパー・ノエ『ルクス・エテルナ 永遠の光』
特異な作品なので、簡単に述べておきたい。

前半はシャルロット・ゲンズブールとベアトリス・ダルの映画制作についての会話。監督、プロデューサー、共演俳優についての表にできない話である。とりわけベアトリス・ダルは赤裸々で、ゲンズブールは抑えた会話。ベアトリス・ダルは進行中の映画について不満をぶち撒き、現場でも異様な行動をとる。そのため、撮影監督は彼女がいる限り現場を降りるとプロデューサーに告げる。プロデューサーは撮影監督をなだめるため、助監督にダルの行動を逐一ビデオに撮るように命令する。毎日その映像を確認し、ダルの契約上の瑕疵を見つけ、それを理由に首にすると撮影監督をなだめる。ところがその甲斐もなく、撮影現場の指導権はしだいにダルが握り始める。その上、機材は故障し、大音量の音楽は止まらず、明滅する光は出演者の精神を撹乱させる。平静だったシャルロット・ゲンズブールもしだいに興奮し、映画撮影は混沌を極め破綻をきたす。どこかの果てまでイッテしまうのだ。

本作は “フィクション/ドキュメンタリー” を横断する映画、もしくはその境界線上の映画である。50分ほどの作品なのだが、監督であるギャスパー・ノエの撮影現場は、このような、製作が困難になるほどの問題を孕んだ、遡行不可能なひたすらイッテしまう現場なのだろうかとも思えてくる。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

ジュリアン・モーリー&アレクサンドル・バスティロ『屋敷女』予告編

ギャスパー・ノエ『ルクス・エテルナ 永遠の光』予告編


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