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【フランス旅行】 『ソーグのひと夏』に思いを馳せるフランス・ドライブ紀行

「#わたしの旅行記」の企画に参加させていただきます。

市の図書館で、とある小説に手が伸びた。タイトルに、なんとなく感情が動いたのだ。
借りて読むと、そこから連想されるフランスの旅を思い浮かべた。

とある小説とは、
ロベール・サバティエ『ソーグのひと夏』(福音館文庫)
である。

ロベール・サバティエ『ソーグのひと夏』(福音館文庫)

『ソーグのひと夏』を借りたのはほかでもない、「ソーグ」という音の響きにどこか懐かしさを感じたからである。

なにゆえそう感じたのか。
本を手にしたときには分からなかったのだが、本の末に載っている地図を見て判明した。この地方を1週間ほどかけ、友人たちとドライブしたことがあるのだ。

“ソーグ(Saugues)”

ソーグはフランス中央山塊にある小さな町。オーヴェルニュ地方(Auvergne)の南、山と豊かな草原、独特の風味のある畜産物や農産物を産出する地域である。古いデータだが、ソーグの人口は2,000人に満たない。現在もそう変わらないか、さらなる人口減かもしれない。

友人たちと、1週間ほどかけ、オーヴェルニュ地方をドライブしたのだ。

ドライブは1日当たり平均100km余り。
ソーグには行かなかったのだが、おそらく、そのときにミシュランの地図で知ったソーグという響きの片鱗が、音の記憶として残っているのかもしれない。

ドライブは、フランス中部オーヴェルニュ地方の中心都市クレルモン=フェランから、南仏プロヴァンス地方のエクス・アン・プロヴァンスまで。

同行者は友人のブンさんとカヨさん。カヨさんはブンさんの友だち。
旅行前に、カヨさんとはブンさんの紹介で新宿で顔合わせをしている。

カヨさんは仕事の都合で、わたしとブンさんより10日ほど遅れて日本を出発。
海外は不慣れというので、ドライブ前日であるパリ到着日にシャルル・ドゴール空港まで迎えに行った。

クレルモン=フェランからエクス・アン・プロヴァンスまでの経路は未定である。
決まっていることは、クレルモン=フェランでレンタカーを借り、1週間後にエクス・アン・プロヴァンスで返却、ということのみ。

距離にすると一般道で450km。
ゆっくり運転しても2日もあれば走破可能な距離だ。
できれば高速は走りたくない。高速は小回りができないからつまらない。
寄り道をしながら、一般道と農道を、1日の平均走行距離、単純計算で80kmのドライブ。ただひたすらエクス・アン・プロヴァンスに向かって南下すればいい。だが、寄り道をするだろうから、実質走行距離はどうなるのか不明である。

レンタカー会社(AVIS)との契約は、パリ在住の映画プロデューサー(友人の紹介で知り合った)が済ませてくれている。
とにかく南下すればいい。
そうすれば、自然とエクス・アン・プロヴァンスに辿り着く。予め決めておくことは何もない。

(ドライブ1日目)
パリ・リヨン駅 8:58発、南仏のマルセイユ行の列車。
この列車は南フランスへ向かう幹線(つまり、パリ→リヨン→アルル→マルセイユ)ではなく、フランスの中央山塊を通るローカル線。日本でたとえるなら、東京から大阪まで行くのに、東海道線ではなく中央線経由を利用するようなものだ。というより、さらにローカルな路線だ。
わたしたちは、南仏のマルセイユまで乗車するのではない。途中のクレルモン=フェランで下車する。

クレルモン=フェラン駅へは13:30到着予定だったが、途中、車両故障で、1時間ほど遅延。つまり、2時半頃到着だ。
遅れたからといって、車掌に文句をいう乗客はいないし、遅延のお詫びのアナウンスもない。遅延状況のアナウンスがあるのみだ。日本だと、状況説明のアナウンスとともに、「遅れたことをお詫びいたします」と繰り返しアナウンスがある。わたしはそのアナウンスを、「うるさい」、と感じる。お詫びは一度でいいと思うのだが、そうではない日本人がそれなりにいるのだろう。多くのフランス人は、「故障で遅れるのは困るけれど、予期せぬ故障って起きるよね」、とのことだ。政府や権力者の不正や欺瞞に対しては厳しく抗議するが、日常の予期せぬ出来事には寛容なのだ。わたしは2019年12月から2020年のはじめにパリに滞在したことがある。フランス政府の年金改革に反対するゼネスト、交通ストライキの時期だった。「交通機関が麻痺するのは困るが、ストライキは労働者の権利だ」との理由で、「フランス人の6割がストライキに理解」と新聞にあった。〈民衆vs権力者〉、寛容と不寛容の線引きが明確なのだ。

“クレルモン=フェラン(Clermont-Ferand)”

クレルモン=フェラン。ミシュラン・タイヤの工場がある中規模の都市である。この都市はウルバヌス2世が十字軍を呼びかけた地でもある。また、哲学者パスカルの生誕地としても知られ、道路にはパスカルの記念の鋲が打ち込まれている。パスカルが気圧の実験をした標高1,464mの火山ピュイ・ド・ドーム(Puy de Dôme)が近郊にある。

クレルモン=フェランの駅前でレンタカーを借りる。
今日は駅から街の中心地までの短い移動。

駅前から中心地までわずか2〜3kmという距離なのに、今回のドライブでいちばん大変だった。
ブンさんのフランスでの慣れない右側走行と道路標識。
交差路を曲がると、なぜだか対向車がわたしたちと同じ車線をこちらに向かってくる。危ない! 
右側走行をしているつもりが、コーナーを曲がった途端、左側走行になっているのだ。習慣とは恐ろしい。
駅から街の中心まで20分ほどかかっただろうか。つまり、時速6〜9kmのドライブ。ブンさんはお腹が痛くなったと言いだす。
意外にデリケートなブンさん。
だけど、ブンさんがいないと先に進まないから、労ってあげなければ。運転免許を持っているのは、ブンさんのみ。わたしもカヨさんも無免許で、ガソリンスタンドでの燃料の入れ方も知らない。
明日からどうなるのだろう。

クレルモン=フェランの裏道の光景
クレルモン=フェランの裏道の光景

街中心地の駐車場に車を止め、ホテル探しだ。
「地球の歩き方」を参考に、大きな道路から少し奥に入ったところにある安ホテルに決定。
1泊、朝食込みで数千円。朝食といっても、安ホテルだから、パンとカフェ・オレのみ。
わたしたちには屋根とベッドがあればいいのだ。トイレ・シャワーは共用。

ホテルは下の写真。テラスが明るくて悪くない。
ちなみみ、今回の写真は2種類。
カラー写真が、フジの使い切りカメラ「写ルンです」。
モノクロ写真が、一眼レフによるフィルム写真。
「写ルンです」の性能も素晴らしい!

宿泊したホテル

ホテルに荷物を置き、ノートル・ダム・デュ・ポール聖堂(Basilique Notre-Dame du Port)を見学。
この聖堂は、黒いロマネスクの聖堂として研究書も出版されている。教会でゾディアック叢書を販売していたので1冊購入。図像などの詳しい解説がある。

ノートル・ダム・デュ・ポール聖堂
ノートル・ダム・デュ・ポール聖堂、上部からの光が啓示のようで神秘的
黒のノートル・ダム・デュ・ポール聖堂
ノートル・ダム・デュ・ポール聖堂の穹窿

夕食はレストランに入るのが遅く軽食のみ。バカ話をしながら夜遅くまで飲んだくれた。

(ドライブ2日目)

朝食後の朝一番の仕事、それは、その日の目的地を決めること。
全員で地図を眺める。

地図を見ながら、距離的にル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy-en-Velay)を目的地と決める。

途中、ドライブの醍醐味である道草を愉しみながらル・ピュイ=アン=ヴレへ南下する。

この日の最初の道草は名も知れない小さな教会……もちろん名はある。ミシュラン地図にはサン・ボネ(Saint Bonet)とある……。教会は道路脇にポツンとあった。
中に入ると、少年がひとり、パンを齧っていた。それを見たカヨさんが感動。女性はこんなところに感動するんだ、とわたし。

村の教会を後にし、農道を走っていると、遠くに城らしき建物が見えた。ミシュラン地図で確かめると、コルデス城とある。ここを第2番目の道草の地としよう。

森の中央からやや左にコルデス城が見える

“コルデス(Cordes)城”

コルデス城への並木道
コルデス城

コルデス城はガイド付きツアーだった。

コルデス城の後、
途上の村のロマネスク教会を訪ねる。
オルシヴァル(Orcival)ノートル=ダム・バジリカ聖堂(Bsilique Notre-Dame d'Orcival)
サン・ネクテール(Saint-Nectaire)
サン・ネクテール教会(Église de Saint-Nectaire)

道草しすぎじゃないの?目的地のル・ピュイ=アン=ヴレに辿り着くのだろうか。

サン・ネクテールのロマネスク教会は後陣の段層構造を特徴としている。これはオーヴェルニュ地方特有の構造で、オルシヴァルの教会にも同じことが言える。
段層構造はドライブ3日目の「ブリウド」の写真をご覧ください。

サン・ネクテールは土地の名を冠したブルーチーズでお馴染みかもしれない。

40kmも走行していないのに、途中のイソワールで午後5時を過ぎる。
なにしろ、田舎道を走行しながら、道中に見えるものがみんな素敵で、道草の連続だった。

ル・ピュイ=アン=ヴレまでは程遠いが、イソワールを宿泊とした。

“イソワール(Issoire)”

イソワールにも魅力的なロマネスク教会がある。
残念ながら、既に扉は閉まっていた(5年後に再訪)。

イソワールは小さな町。
訪れる観光客はあまりいないだろうと、広場に面したバーのテラスでビールを飲みながらたわいのない話。その後、部屋をとろうとしたら、どのホテルも満室。わたしたちは少し慌てた。高を括っていたのだ。ロマネスク教会や料理を求め、イソワールを訪れる観光客は少なくないのだ。

街中探し歩き、やっと見つけたのが薄汚いバーの2階。星なしホテル。ベッドと裸電球があるだけ。トイレ、シャワーは共用。
安いけれど、床もベッドも傾き、ここまで汚い部屋には……。わたしたちは後悔しきりである。
ネット予約のできるBooking.comなんてない時代の旅行だから、いきあたりばったりの旅。
明日からは、到着後、まずしなければならないことは、ホテル探し!

イソワール、この広場でビールを飲にながら駄弁る

下の写真は数年後の再訪で撮ったイソワールのロマネスク教会、サン・トストルモワンヌ教会(Abbatiale Saint Austremoine)
このカラー写真も「写ルンです」で撮影。暗い場所なのに、フィルム技術向上でラチチュードが上がったから写ルンです。
ステンドグラスの光が床に映え美しい。中世の人なら、ここに奇跡を見出すのかもしれない。

イソワールのサン・トストルモワンヌ教会
イソワールのサン・トストルモワンヌ教会
イソワールのサン・トストルモワンヌ教会

(ドライブ3日目)

今日こそル・ピュイ=アン=ヴレへ。
道草をしながら南下する。

途中、ブリウドのロマネスク教会であるサン・ジュリアン寺院(Basilique Saint Julien)シャヴァニアック・ラファイエット城(Château de Chavaniac-Lafayette )を見学。

“ブリウド(Brioud)”

後塵が段層構造になっているサン・ジュリアン寺院、
ブリウドのサン・ジュリアン寺院
ブリウドのサン・ジュリアン寺院
ブリウドの鉄道駅(ドライブだけでなく、鉄道旅行も魅力)

今日の目的地ル・ピュイ=アン=ヴレにも魅力的なロマネスク教会がある。
奇岩の頂上に、ガイドブックで必ず紹介される教会もある。

“ル・ピュイ=アン=ヴレ(Le Puy=en=Velay)”

この街で宿泊予定だったけれど、わたしたちのイメージとかけ離れた俗っぽい都市だ。
聖的なものを求めているわけではないけれど、できるならば静かな街に宿泊したい。

ル・ピュイ=アン=ヴレ、奇岩の頂上に教会
ル・ピュイ=アン=ヴレ
ル・ピュイ=アン=ヴレ

ミシュランの地図を見ると、ル・ピュイ=アン=ヴレから数十km離れたところに湖があり、キャンプ場も併設している。
きっとホテルも完備しているに違いない。ロマンティックな光景を胸に抱き、車を走らせた。

しかし、湖畔のホテルは期待に過ぎなかった。ホテルは見当たらない。
「途中のランゴンニュという町にホテルを見かけたから、そこまで戻ろう」、ということになり、車で10分ほどのランゴンニュまで引き返す。
幸いにも部屋は空いていた。前日の二の舞にならなくて良かった、と安堵するわたしたち。

荷物を部屋に置き、ホテルのロビーでビールを飲みながらランゴンニュの街のことを話していると、ランゴンニュではなく、「ランゴーニュ(Langogne)と発音するのよ」とホテルのマダムに糾された。
ランゴンニュ、ランゴンニュと間違った発音をしていたのが気になっていたようだ。
京都を訪れた外国人が、「キョトー(Kyoto)」という発音するのを耳にするけれど、それと同じことなのかもしれない。わたしたち日本人も、「キョトー」じゃそわそわして落ちつかないよね。「キョウト」と発音してほしい。

夕食はホテルのレストランで地元料理。
「これどんな風に食べるの?」
レストランのスタッフに質問しながらの夕食。この土地の人は親切で暖かい。
デザートも美味しくいただいた。

食事をしながらレストランの外に目をやると、自転車が数珠つなぎで駆け抜けていく。わたしたちはデザートを急いで胃袋に押し込み、ホテル前の道路に出た。
ツール・ド・フランスではないけれど、自転車競技を開催しているのだ。
フランス人は自転車競技が好きだ。
わたしたちは、それを「ツール・ド・ランゴーニュ」と名づけ、内輪で盛り上がった。

この日の走行距離100km。

(ドライブ4日目)

今日の目的地をどこにしようか地図を眺める。
現時点より南に位置していればどこでもいい。
南フランスの山の上にある秘境の城塞都市ゴルドに行こうということで意見は一致。
最終目的地のエクス・アン・プロヴァンスにもだいぶ近づく。

ゴルドの奥にはシトー派のセナンク修道院がある。

途中、ローマ時代の都市オランジュでお昼になったので昼食。

“オランジュ(Orange)”

オランジュはローマの遺産が多くあり、再訪したいと思うほど魅力的な街だった(5年後、再訪)。

ゴルドへの途上、トリュフで有名なカヴァイヨでカフェ・タイム。
車を降り街を歩いていると、地元民の視線が必要以上にわたしたちに注がれる。なんだか嫌な感じで雰囲気が悪いなあ、とわたしたち。フランスではじめての反異邦人的視線。移民排斥を主張する極右政党・国民戦線の支持者が多い地域だから、そのことも影響しているのかもしれない。考えすぎかな?
カフェは諦め、ゴルドに直行。

“ゴルド(Gordes)”

ゴルドは岩山の頂にある城廊都市で夏の保養地。フランス全土からヴァカンス客が押し寄せる中世の都市。いまは夏のヴァカンス最盛期。
比較的早く着いたのだが、中心部のホテルは予約で満室。もしかすると、数ヶ月前に予約で埋まっているのかも。

中心から少し離れた対岸のホテルに空室があった。
そこから眺めるゴルドは、写真で見るゴルドそのもの。
眺めるだけなら中心部より、ここのほうがいいかも、とわたしたち。それに、中心部よりずっと安い。

宿泊したホテルからゴルドの街を望む

ホテルに荷物を置き、さらに奥まった渓谷の地にあるセナンク修道院へドライブ。

“セナンク修道院(Abbaye de Sénanque)”

南フランスは焼けつくような気温。砂漠のような谷間に、セナンク修道院はひっそりとあった。

セナンク修道院

ラベンダーも水を失い、枯れているように思えるほどのカラカラの白い大地。
わたしのサンダル履きの足は真っ白になった。
「まるでマカロニ・ウエスタンだ」、ブンさんはジュリアーノ・ジェンマのように呟いた。

セナンク修道院の回廊
セナンク修道院

修道院見学後、ゴルドの街を散策。
中世の都市が無傷で残っている。

ゴルド、昼間から飲むビールは旨い

ホテルから街の中心地まで車で数分。
夜遅くまで、食事、ワインを楽しんだ。
高級保養地だが、安価なレストランもある。
言うまでもないけれど、安レストランで食事をとった。
相当に酔っ払った。で、車の運転はどうした?

この日の走行距離は250km以上。直線距離にすればずっと短いのだが、くねくねと道草をくいながらのドライブは想定外の距離をはじき出す。

(ドライブ5日目)

この年はゴッホ没後100年ということもあり、今日の宿泊地をゴッホゆかりの地アルル(Arles)に。

アルル訪問は、日本出発前から決めていた。
旅のテーマは、“フランス・ロマネスク+ゴッホ詣” の旅である。

実は、フランス・ドライブの前、わたしはゴッホを巡り、10日間ほど鉄道・バス旅をしてきた。
ベルギー、オランダ、そしてゴッホ終焉の地であるパリ近郊の町オーヴェル=シュル=オワーズ(Auvers-sur-Oise)の旅。今回はそのときの紀行文は省略し、先をいそごう。

途中、
レ・ボー=ド=プロヴァンス
サン=レミ=ド=プロヴァンス
モンマジュール修道院
フォンヴィエイユ
を経由。
もちろん、この日も適当に道草をする。

レ=ボー=ド=プロヴァンス(Les Baux-de-Provence)
ここで昼食をとった。
アルミの原料であるボーキサイトは、この街の名「ボー」からとられている。
レ・ボー(Les Baux)は「ボー家」という意味。ボー家が支配した都市である。

レ=ボー=ド=プロヴァンスからの眺め
レ=ボー=ド=プロヴァンス、30度を超えるカラカラの天気
レ=ボー=ド=プロヴァンス
レ=ボー=ド=プロヴァンスからのオリーブ畑を望む

南に下るにつれ、ゴッホの絵で見る糸杉の風景となる。
わたしたちは、「ゴッホの糸杉だ!糸杉だ!」と、気温も気持ちもヒートしっぱなし。

“サン=レミ=ド=プロヴァンス”Saint-Rémy-de-Provence)“

ゴッホが入院した精神病院・修道院がある。
再訪したいと思いながらも未だ実現できず。

糸杉が印象的なサン・レミ・ド・プロヴァンス。

サン=レミ=ド=プロヴァンス
サン=レミ=ド=プロヴァンス、塀の向こう側にゴッホが入院した精神病院・修道院がある

サン=レミ=ド=プロヴァンスはノストラダムスの生誕地としても知られている。

“モンマジュール修道院(Abbaye de Montmajour)”

モンマジュール修道院の廃墟で、バロック音楽の演奏付きダンスを鑑賞。
このパフォーマンスは偶然の嬉しい出会い。

モンマジュール修道院
モンマジュール修道院
モンマジュール修道院からの眺め、白い教会堂が南仏らしい
モンマジュール修道院からの眺め

“フォンヴィエイユ(Fontvielle)”

ゴッホは絵を描きにこの地に足を運んでいる…アルフォンス・ドーデの小説『水車小屋だより』としても知られている。

フォンヴィエイユの水車小屋

この日の目的地アルル到着。

アルルではゴッホゆかりの場所以外にもローマ時代の遺跡見学。
アルルでは写真を撮らなかった。
アルルは有名すぎるから、写真は不要かも。

今日の走行距離100km。

(ドライブ6日目:ドライブ最終日)

この日は道草をくわず、最終目的地エクス・アン・プロヴァンス(以降、「エクス」と省略)へ直行。

最終日だから、記念に高速道路を走ろうとなった。
外国の高速はタダだと聞いていたのに有料で驚く。噂って、あてにならない!

エクス着後、ホテル探しと昼食。
ホテルは観光案内所で手配してもらった。
ホテルにチェックインし、エクスから30kmほどの地にあるシトー派のシルヴァカンヌ修道院へ。

“シルヴァカンヌ修道院(Abbaye de Silvacane)”

修道会の本来の目的を忘れ、富を蓄え世俗化するまでに堕落したクリュニー派を批判し設立されたシトー派修道会。
シトー派修道院は清貧と神への献身と厳しい自己鍛錬を信仰の柱とし、世俗から遠く隔てた荒野に設立。修道院の作りも極めて簡素で、華美な装飾はない。
前日のセナンク修道院も、都市から遠く離れた渓谷にあった。

シルヴァカンヌ修道院
シルヴァカンヌ修道院、教会正面
簡素な堂内、柱頭彫刻もない
回廊

シルヴァカンヌ修道院からエクスに戻る途中、ワインキャブがあったので立ち寄る。試飲すると美味しかったので、日本に送れないかと尋ねると「できない」と。フランス滞在中に飲むワインを数本購入。

エクスに戻り、レンタカー返却。
今日の走行150km。

“エクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)”

エクスはこの旅がはじめての訪問だった。
街の美しさに感動し、その後、何度か訪れている。北海道発信の旅番組〈水曜どうでしょう〉で、「この街はこれまでと違うね」とディレクターの藤村忠寿と俳優の大泉洋が感嘆した美しい街だ。

エクスには噴水が多くある
エクス、暑いけれど光が爽やかで涼しげ
エクス、市が多くたっている
エクス、民家だけど、かつては貴族の館、こんな像が多い
エクス、民家
ショーウインドウ

(ドライブ最終日の翌日)

列車でマルセイユへ。
エクスからマルセイユへはローカル線で30分。

マルセーユの街を半日見学。
標高161mの丘にあるノートル・ダム・ド・ラ・ギャルド寺院(Notre-Dame de la Garde)の生々しいピエタ像に感動。1936年にマルセイユに降り立った横光利一は、血まみれのピエタ像を見て次のように述べている。「皮膚の色から形の大きさ、筋に溜まった血の垂れ流れているどろりとした色まで実物そのままの感覚で、人々を驚かさねば承知をしない。…(略)…このリアリズムの心理からこの文明が生まれ育って来たのにちがいない」(横光利一『旅愁』より)。

昼食後、わたしたちは解散。
現地集合・現地解散の海外旅行って面白い🤣

ブンさんはイギリスへ、カヨさんは東京へ。
わたしはこの後、2週間ほど滞仏し、列車旅を楽しみ帰国。
1ヵ月の旅だった。

格安チケット、格安ホテル、格安食事。
「その金額でひと月も海外旅行できたね」、とい言われる格安旅行だった。

わたしたちは幸いも喧嘩せず、楽しいドライブ旅だった。そして、美味しい食事に夜毎のアルコール🍷。
気絶するまで呑む(オーバーな表現かな)酩酊ドライブ旅だった。ちなみに、ワインは訪れた土地のワイン。ワンボトル数百円でも美味しく感じた。

同行のふたりに感謝。とりわけドライバーのブンさんに。

円安のいま、もうこんな旅行はできないだろう。日本の産業構造、政治構造だと、円安はさらに進むに違いない。円が紙屑にならないことを願いながら、いまは過去の旅を回想するに留めよう。

来春は台湾へのリアル旅。実現できるだろうか?

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

サポートしていただき、嬉しいかぎりです。 これからもよろしくお願いいたします。