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【映画評】 ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』、イングリット・バーグマンのこと

ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』(原題)Roma città aperta(1945)

本作は第2次世界大戦末期、同盟国でありながらイタリアに侵攻したナチスドイツに抵抗するレジスタンスの戦いを描いたイタリア・ネオネアリズモの原点ともいえる記念碑的作品である。

本作をはじめて見たのは東京で働いていたときである。ロベルト・ロッセリーニ(1906〜1977)の連続上映があり、何本かまとめて見ている。記憶は定かではないけれど、『無防備都市』(1945)『戦火のかなた』(1946)『ドイツ零年』(1948)『ストロンボリ、神の土地』(1950)『イタリア旅行』(1954)だったろうか。その数年後、『神の道化師、フランチェスコ』(1950)を鑑賞している。

『無防備都市』では死の簡潔性に、『ストロンボリ、神の土地』『イタリア旅行』では神の奇跡の簡潔性に驚いた。簡潔性とは、ドキュメンタリー性、即時性、と言ってもよい。これはロッセリーニによる神学的修辞であるように思えた。『神の道化師、フランチェスコ』では、聖人フランチェスコの歌って踊る姿に奇跡の享楽性・ユーモアを見ることができた。ロッセリーニはカソリック的映画作家なのだと、そのとき理解した。

映画史におけるロッセリーニは綺羅星の如く輝くの存在だが、興味深いことに、人生としては不遇でもあった。その最大の不遇とは、イングリット・バーグマン(1915〜1982)の出現である。

スェーデンで俳優としてのキャリアを始め、アメリカで栄華をきわめたバーグマン。彼女はアメリカでロッセリーニの映画と出会い、密かにロッセリーニに心を寄せる。そして想いあまり、ロッセリーニに英文の手紙を送る。手紙の中で、彼女は『戦火のかなた』の素晴らしさを吐露し、あなたと一緒に仕事をしたい旨を述べる。そして、手紙の最後にこう記する。

わたしはイタリア語を知りません。
知っているのは、Ti amo. ただこれだけです。

「Ti amo.」の意味は、「あなたを愛しています」。
知っているイタリア語は愛の表現だけだと。この短い言葉に、バーグマンの、ロッセリーニに対する気持ちが集約されている。なんという愛の演出。これほどまでに簡潔な愛の表現を、わたしは知らない。

マイケル・カーティス『カサブランカ』(1942)ハンフリー・ボガードと(写真:ナタリー)

ロッセリーニは思いもよらぬ手紙に、バーグマンをイタリアに呼び寄せようとする。アメリカで栄誉に包まれていたバーグマン。夫と子供を捨て、そしてハリウッドも捨て、ロッセリーニのいるイタリアに赴く。ここから二人の愛の生活が始まるのだが、それは不遇の始まりでもあった。

ロッセリーニとの第一作が『ストロンボリ、神の土地』である。ロッセリーニはバーグマンを主役として、『ストロンボリ』以外にも、『ヨーロッパ1951年』『イタリア旅行』『火刑台のジャンヌ・ダルク』『不安』を撮っている。だが、映画史におけるこれら作品は評価されているものの、興行的には芳しくなく、やがて二人の間に不協和音が響き始め破綻をきたす。それだけではない。ロッセリーニは、映画の世界で忘れられ、過去の人となる。

今月(2024.5.7)から7月9日までの毎週火曜日、同志社大学寒梅館クローバーホールでロッセリーニ連続上映が開催されている。上映作品は『無防備都市』以外に、『戦火のかなた』、『ドイツ零年』、『殺人カメラ』、『ストロンボリ』、『不安』、『火刑台のジャンヌ・ダルク』、『イタリア旅行』、『インディア』。ロッセリーニ作品以外にも、ネオリアリズモの世界として、ルキノ・ヴィスコンティ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、フェデリコ・フェリーニ『甘い生活』『道』が上映される。

さて、『無防備都市』なのだが、今回わたしが鑑賞するのは東京での連続上映以降、二度目のような気がしたのだが、「映画日記」(わたしは映画日記を書いている)を調べると、2015年10月27日にも見ている。すっかり忘れていた。エレム・クリモフ『炎628』(1985)との併映である。会場は今回と同じ寒梅館クローバーホール。『炎628』についてはメモを書いているのだが、『無防備都市』については何も書いていない。同日に二作品見ると、メモを残すのはほぼ一作品のみ。その日はとりわけ『炎628』が衝撃的で、二作品もメモに残す気力がなかった。ただそれだけの理由なのだが……。

『炎628』のメモに、「数字628はナチスが焼尽した村の数である。この映画がソ連の反ナチス・プロパガンダ作品であるか否かは問わないことにして、戦争の実相とはこのようであると推察できる。つまり、上空から撮られた戦争は全てフィクションであり、戦争の実相は地上でしか描写できない。そう極論してもあながち間違いではない。」と記している。

「戦争の実相は地上でしか描写できない」。『無防備都市』で感じたのも、戦争の実相は「地上」であるということだ。本作で描かれた死の簡潔性(ドキュメンタリー性、即時性)、戦争の実相性とは「地上」のことであると。『無防備都市』はそのことを明確に描いた秀逸な作品である。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』の死のワンシーン


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