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断捨離したら、人生に本当に必要なものだけが残った話

最近、大量に持っていたバッグや服、靴、アクセサリーを断捨離した。

今日は先日書いた、『インスタのアカウントを削除してみた記事』が好評だったので、その後日談を書こうと思う。

SNSに思考や行動が支配されている現実に嫌気がさして、思い切ってインスタのアカウントを削除してみたら大して困らなかった上に、自分が本当にやりたいことが見えてきた、という話だ。

あれから数週間経った。そして冒頭に戻るというわけだ。

ところで、何を隠そう私は2〜3年前までバリバリのアパレル販売員だった。アパレル販売員の出費は恐ろしく、毎日着るブランドコンセプトに合った服、身に付けるアクセサリー、美容院化粧品ネイル等、おそらく月に5〜6万円はそういったものにかけていただろう。

7年間ほど勤めて退職したのだが、仕事を辞めてから当時購入したものを着るか身に付けるかと言われると、私の場合はそうではなかった。
ピンッピンのピンヒールなんか日常生活で絶対履かないし、あんなもん普通に履いているだけで足首とか足の裏の怪我の元だ。ひらひらのブラウスやスカートは機動性が低く動きづらいし、アクセサリーに至っては退職した途端金属アレルギーになって付けられなくなった。

そういった経緯があって使わない服と鞄、アクセサリーが大量に残っていたのだ。

今まで気合いとやりがい、そして若さで乗り越えてきた生活から一度離れたら、呆気なく激変した。さらにインスタを辞めて承認欲求から解放されつつある私は「魅せる」必要がなくなった
そして私は必要のなくなった戦利品たちを、思い切って断捨離したのであった。

あるものはリサイクルショップへ。あるものは友人、後輩、妹へ。
私の武器だった物たち。「女」を格上げしてくれていた(と思っていた)物たち。それらが綺麗さっぱり、旅立っていった。

ふと、体が軽くなった。なぜか気持ちが高揚していた。
残ったものを見ると数枚のデニムとTシャツ、ニットだけ。靴に至っては雪用のブーツとスニーカー各1足だけだし鞄なんかはビジネス用リュック一つだ。それらは今までアパレル時代に買ったどんな物より安価で軽装だ。そしてアパレルを辞めてから常に着回していた1軍たちだった。
アクセサリーが置いてあった棚に代わりに置かれたのは、今まで少しずつ読み進めてきた大量の小説などの本。無造作に積み上げただけだが、なんとなく輝いて見えた。

なぜか必死に守っていた戦利品たちだが、断捨離した今、本当に守っていたのはなんだったのだろうと考えた。元々おしゃれにそこまで興味がなかった私がアパレルを始めてたくさんのおしゃれを勉強し、それを楽しむことを経験させてもらった。人生が豊かになる喜びを感じられたし、お客様にもそれを与えられたと思う。

転職しweb関係の仕事をしながらあの頃よりさらにたくさんの人生の経験を積んだ今、守るものが変わったのかもしれない。

あの頃、守りたかったのは「仕事、喜び
今、守りたいのは「人間らしい幸せ

こんなにたくさんのものに溢れ生活が便利になった現代だけど、そんな今こそ考えたい。人間が本当に必要なものとは、案外そんなに多くないのではないだろうか。インスタを見ていると、ものに溢れること自体が幸せなんだと思ってしまいそうになる。持っている人を羨ましく思う。思っていた。

断捨離した今は、こう思う。今あるものを見つめ直し、今に感謝することを忘れないようにしたい、と。これはものだけではなく、環境や人間関係に対しても言えることだ。断捨離したことで、そんな思いが浮き彫りになった。

身の回りを断捨離することで気が付いたのは、本当に断捨離されたのは自分の頭の中の雑念だったのかもしれない、ということだ。あれもこれも捨てるが正義!とはもちろん思わないし私はミニマリストなわけではない。人それぞれ必要なものは違うし、違って良い。不必要と思われるものでも、それがあることで心の健康を保てるのであれば、それは結果的に必要なものだ。

これからは、自分が守るべきものをしっかり守り、大切にし、感謝していきたいと思う。断捨離のススメ、皆さんも試してみてはいかがだろうか。


おわり

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