人に相談をしても良いことがない理由って実は…

昔と較べて何かに対して深刻に悩んだりすることって減ってきましたが、その頃を振り返っても、ほとんど他人に相談したりしなかったな、と思います。

相談できるような人が周りにいなかったというのもありますが、別にいま
抱えている悩みについて相談したところで、納得できる回答はもらえないな、と思っていた。

というよりも、相談された側は自分ではないので、納得できる回答なんて期待する方がおかしいと思っていた。
実際に、腑に落ちないことばかりで、もらったアドバイスをそのまま実行しても事態が好転することはなかった。

それと、最近思ったのですが、実は相談があまり意味がない理由で、こんなところにあるんじゃないかと。

それは、

「人の本音は口に出た言葉とは真逆の場合があるから」。

かんたんに言うと「人は本音をほとんど言わない」ということです。
あまり僕は他人の目とか気にしないタイプかもしれませんが、そんな僕でも誰かとおしゃべりをしているときは、毎回毎回本音を言うなんてことはないです。

相手との関係性もあるのでその場の空気を読もうとするし、話を合わせようとするし、思ったことの全部は口にしない場合がほとんどです。
自分がそうやって本音と建前を使い分けているのであれば他の人もそうだと考えるのが一般的なので、僕が何か言った場合も、相手はそれに対する正直な気持ちは言っていないこともあると考えるのが理に適っているのでは、と。

別にこれが悪いわけではなく、不要な対立を作らず、円滑に世を渡っていく上でむしろ必要なことだと思います。

いつも周りの人が自分と本音で接してくれている、なんて思わない方がいい。
むしろ本音は、自分が心の中では「逆」のことを考えているのだから、言われた言葉とは「逆」だと捉えるくらいでちょうど良い、と僕は考えています。

かなり仲の良い友だちレベルでも、本音が返ってくることなんてそうそう無い。

「今から本音を言うね」

と前置きされた状態なら、それに近い回答が返ってくるかもしれませんが、それでもその本音を100%反映しているとは言い難いと思います。
だから、誰かに相談してもほとんど意味はない、と思うんです。

その人の正直な気持ちは結局、ノンバーバルというか、言葉ではなく行動や態度にしか表れない。

これは逆に考えると、あえて誰かに相談をして、受け取った助言の「反対」を行動指針にできるということかもしれません。
そんな単純な話でもないだろうけど、何かセンシティブな会話になった際は、飛び交っている会話内容の裏読みをするようにすると、いろいろ見えてくることがあるかも。

そんな風に思いました。


読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。