【理想】僕がnoteを書くときに、常に意識しておきたい4つのこと
つい書きすぎたな、と後悔をする。
何度も読み返して、書き直しているはずなのに。いつのまにか千文字を超えていて、「ここは省けたな」とか「ほかの言い回しができたかも」などとタイムラインに並んだじぶんの記事を読んでイヤになる。
だれに貶されたわけでもないし、「ワルイネ」のボタンを押されたわけでもない。
ただ、僕自身が好きになれない記事を書いたことが悔しくて、また今日もこうしてnoteを開いている。じぶんより上手い文章を書く人のことを、見ないフリをしてしまうことは簡単だ。ましてや、「この道は険しい」と逃げることもまた容易い。
だが、僕は逃げたくない。思うように書けないじぶんと、これからもひたむきに向き合って書きつづけたい。
書いて。
書いて。
書きつづける。
いつか、思うがままの文章を生み出せるその日が来るまで。
◆◆◆
「読みたい!」となるような文章を書く
とにかく、これが一番大切。第一の読者は、まずじぶんだから。上手い文章とは、細かいことを挙げれば、「漢字とひらがなの使い分け」であったり、「改行のタイミング」とかいろいろあるのだけれど。ようは、僕自身が、読みたくなるかどうかだと思う。
じゃあ「読みたい文章」とはどういう文章か。もちろん、相手を貶めたり、シンプルに何が書いてあるのかわからないような記事は論外なのだが。
正しい日本語をつかいたい。
美しい表現を駆使したい。
朝7時をめやすに投稿する
朝の時間が好きである。
ひとりが好きなのもあるし、静かな時間と厳かな空間も大切にしたい。“朝の人”というイメージを抱いていただきたいのももちろんある。
だが、それよりもやっぱり。朝に投稿したものに対して、朝からスキしていただけるのは堪らなく嬉しい。通勤途中にも、何度だって通知を確認してしまう。
そして、noteを投稿するために、規則正しい生活ができるというのも外せないところ。
あくまで文章で勝負する
noteには、写真や動画やHPなども載せられる。テキストは、太くも大きくも自由自在だ。
しかし、複雑であればあるほど、スキルや知識が必要になる。上手く見せるにはコツがいる。もちろん、写真や動画を載せることが悪いことだとは思わないし、それらを上手く見せるよりも、文章で勝負することのほうがむずかしいことはわかっている。
ただ、僕は、“書くため”にnoteを書いている。
ターゲットに刺さる記事を
かれこれ2年以上もnoteを書いてきて、最近やっと僕のnoteのターゲットに気づいた。
・京都好き
・丁寧な暮らし
・シンプル
・ミニマリスト
・読書が趣味
・図書館によく行く
・書くことも好き
こういう人たちのために、僕は書きたい。実際に投稿している内容は、これとは離れている日も多いのだけれど。そことのギャップを埋めることこそ、僕が伸びる唯一にして最善の方法だと思う。
今日も明日も明後日も、恒常的に「長屋正隆っぽい記事」を書くことを目指している。
僕の記事をここまでお読み頂きありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 頂いたご支援は、自己研鑽や今後の記事執筆のために使わせていただきます。