語らずとも、凛々しく生きたい
この本を、図書館から借りてきて読んだ。
タイトルから察するに、いわゆるミニマリスト系の本なんだろうなとおもっていた。読んだ結果、やはりミニマリスト系の本だった。
しかし本書は、ただ「ああすればいいよ」「こうしたら楽になるよ」と書かれているわけではない。アメリカ人の著者がフランスの貴族の家にホームステイをして、その生活のようすを観察したという内容だ。だから、自己啓発書などでよくある「著者が優越感にひたっているかんじ」がまるでない。じぶんのことを書いているわけではないから、当たり前の話ではあるのだが。
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とはいえ、僕はもともとオールシーズンあわせても10着以内におさまるほどしか服を持っていない。不要なものを家に置いておくことが耐えられない。そしてさらに、ふだん持ち歩いているバックは定期的に中身を見直したり、いらなければすぐに手放す、ということを徹底してシンプルな生活を意識している。
それならどうして本書を手に取ったのか。読む必要がないではないか、と。
その理由は、数年前にさかのぼる。本屋かどこかで、僕はこの本のタイトルと表紙を目にしたことがある。やはりシンプリストの端くれとして気になり、そして手にとった。パラパラとめくってみると、目次にこんなワードをみつけたのだ。
「沈黙は金」
沈黙は金、雄弁は銀。この言葉を引用したのだろう。ようは、黙っていることのほうがしゃべることよりも価値がある、という意味だと理解している。
そして今回、あらためてこの本のなかでもこのチャプターをとくにじっくりと読んでみた。予想どおり、この言葉に非常に共感できたのだが、その理由は僕の実体験をもって語ることにする。
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僕は、つい先週ぐらいまでnoteを書くことをやめていた。その間、約1か月だった。とはいえ毎日投稿をしていない人や、noteをそもそも書いていない人からしたら「それがどうした」という話になるとはおもう。
しかし、すくなくとも僕にとっては、「書くことをやめる」というのは勇気のいる決断だったと強調したい。
具体的には、
・休んでいるあいだに、フォロワーが減ってしまう
・休んでいるあいだに、いままで培った書く力が衰えてしまう
・休んでいるあいだにも、ほかの人はきっと書き続けている
さまざまな懸念が僕の脳裏をつねによぎった。
しかし、結果はどうだろう。これは僕もほんとうに驚いた発見のひとつなのだが、休む前とあとではフォロワーが減るどころかなんなら少し増えていた。
ほんのわずかな微増だが、毎日書いていても、反対に書くことを突然やめてもそれほど大きな影響はない、というのは書き手からしたら複雑なおもいはあるものの。それ以上に余計なものを書いて投稿してしまうぐらいなら、黙っていた(投稿しない)ほうがいいのかもしれない、ということを身をもって知った。
これがおおいに自信(?)になった。あとふたつの懸念も、書き続けていくうちにすぐ補える些細なことだろう。
沈黙は金。うん、いい言葉だ。
僕は黙って、Amazonで本書をポチったのだった。
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