短い文章を、極めたい
こう見えて(?)僕は、人よりも背が高い。
子どもの頃から“背の順”でいちばん後ろでなかったことは人生でいちどだけしかない。そんな僕が言うのだからおおかた間違ってはいないはずだが、背が高いことでうけるメリットはどうにも薄っぺらくかんじる。
正直に言って、大きくてよかったなとおもうことはあるけど、背がひくいことのよさもあるとおもう。僕は学生時代ずっとバスケットをやっていたのだが、いまでこそW杯などで2メートルちかい選手たちがはしりまわりながら巧みなボールさばきで点をとっているすがたをよく目にするようになった。しかし、ほんの一昔まえまでそんなことはなかったはずだ。
こんな例は極端すぎるが、ようはドリブルがつけなくても走るのがたしょう遅くても、相手より高い位置からシュートを放つことさえできれば点がとれる。そのため、10数年まえの僕が子どもの頃でさえ、「でかいやつはうまくない」という固定観念が根強かった。まぁだからこそ、いまのバスケットはおもしろくなったといえるのだけど。
一方で、背がひくい選手はそのぶんをドリブルや3ポイントシュートの精度、ゲームコントロールなどで補わねば勝てない。これはいまもむかしも変わっていない。ただ、だからこそ、「ちいさい選手は基礎がしっかりしていてうまい」と評価されることが多い。そして、これこそが、ほんらいバスケット選手であるべき実力だと僕はかんじる。
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短い文章には、きもちをギュッと濃縮させられる。
そんな当たり前のことを改めて書くまでもないのだが、どうしても今日は書きたいのだ。
もちろん、長い文章が冗長であるとか、ただ短ければいいのか、というとそんなことはない。書いたあとにしっかりと推敲しなければいけないし、シンプルで簡潔な文章よりも長く壮大な話のほうが魅力的に見える人もきっといるからそう単純な話でもない。
ただ、僕は、千文字で書けるこのnoteを極めたいな、とそうおもった。
けっきょく、文章には、その人間性があらわれるのだ。なにをテーマに書いても、それこそ何文字でどうやって構成しようとも、僕のからだの奥底にある「より深く、シンプルに」という核心からはのがれられない。
100文字でも1万文字でも、書きたいのなら何文字でもいいのだけれど。僕は約2年ほどnoteをこうしてつづけてきて、いまの“千文字ぐらいがちょうどいいな”とかんじている。あるていど無理なく書きつづけるのには負担が少ないし、しかしそれでいて、きもちを伝えるのに十分な長さでもある。
これからも、千文字のなかで人生を書く、というあそびを楽しみたいとおもっている。
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