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嵯峨嵐山めぐり

嵯峨嵐山。

嵯峨なのか、嵐山なのか。京都といえば、で語られることの多いこの観光地名について、ふとなにげないときに思案してしまう京都好きは僕だけではないはずだ。ちなみに、嵯峨は、右京区西部の地区名のこと。周囲には愛宕さんなど坂道ないし地形がさがしいことに由来するという。一方の嵐山は、洛西 大堰川おおいがわ(桂川)の渡月橋両岸一帯をさす地名らしい。

嵯峨嵐山に行ってきた。

京都に住みはじめて、つぎの春には6年目をむかえる。ちかくに住んでいるのに、どうせ混んでいるのに、定期的に行きたくなる観光地は、いかに千年の都といえどもそう多くはない。そのなかのひとつに、この場所がある。

とにかく海外からの観光客でいっぱいでした。

数年前、有名なこの渡月橋からほどちかくの太秦うずまさという場所に1年間ほど暮らしていたことがある。自転車に乗って、20分ぐらいで来れただろうか。生まれ育った景色とは似てもにつかぬ、どこまでもつづく山々と川の大きさに、驚き、そして、日を追うごとにこの場所を好きになった。

訪れるたびいつも行く寺社や有名なみどりの細道は、呆れるほどに混んでいた。これだけインバウンドが集中していたら、「ここは日本なのか?」と錯覚してしまうのもムリはない。もし幕末の尊皇攘夷の志士たちが、いまこの場所に現れたとしたら、刀を抜くまえに発狂して倒れてしまいそうだなと思った。それぐらいには溢れていた。平日の午前でこれなのだから、コロナが明けて、嵯峨嵐山に休みはないのだなと改めて感じた。

訪れたのは、清涼寺。通称、嵯峨釈迦堂とよばれている。

創始は、寛平7年(895)、光源氏のモデルとされる源融みなもとのとおるの没後に、その山荘を寺にしたと伝えられる。偉そうに書いてはみたものの、今回、初めて訪れた。

清涼寺のように、僕はまだまだ嵯峨嵐山については知らないことが多い。だからこそ、何度も訪れる理由がある。もしかしたら、いつか住んだらイヤなところばかりに目がいって、「嵯峨嵐山なんか、二度と行かへん」となるのかもしれない。

だから、たまに行くからいいのだ。そして、行こうと思ったときには、サッと行ってスッと帰って来られるからいい。

そこで僕は気がついた。6年前まで、つまり僕がまだ京都に来るまえまでは、京都自体を、「住んだらキライになるのかな」そう捉えていた。そして、京都に住んだいまとなっては、もっと狭い世界で嵯峨嵐山をそう捉えている自分に少し呆れている。

あれだけ京都に旅行をすることが楽しみであったから、いまでは嵯峨嵐山に来ることでその欲と興奮を満たせている。

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