人が読んだ本をみるのは、面白い
この本が図書館で返却された。
ヘルマン・ヘッセによる『デミアン』だ。とはいえ、偉そうに書いたが僕がこの本について書けることは何もない。もちろん読んだことはないし、「ヘッセ」という名前から『車輪の下』という別作品のタイトルはうかぶのだが、それもうかぶだけ。
じゃあこの記事で何を書きたいんだ、という声が聞こえてきたのでさっそく本題に入ることにする。
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日本全国どこの図書館でも、いや、海外もふくめて基本はそうだとおもうのだが。利用者から本の返却があったら図書館員は、もろもろの返却処理を済ませたあとは、本の中身をチェックする。メモやふせんなどの忘れ物はないか、本の汚損はないか、書き込みがなされていないかをササッとみるのだ。
そのときのこと。
状況はこの記事冒頭に書いたときとまったく同じで、位置もほぼ同じところに「著者プロフィール」が記載してあった。誰かから急かされたりとか、他にやるべき業務が山積みになっているような仕事ではない。そのとき僕は余裕があったので、ヘッセのプロフィールに目をとおした。
あの装丁はたしか、新潮文庫だったはず。以降、記憶をたよりに書いていくので、こまかい文言などを間違えている可能性を否めないのはご了承ねがいたい。
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いつものとおり、生年月日や出身地と、そして作家という職業であることが書いてあった。問題は、そのあとである。
牧師になるために神学校にかようも、半年たらずでなんと脱走。ついで、退学をしたらしい。その後、ヘッセは「詩人になるか、さもなければ何にもなりたくない」と極端な進路に心をきめる。
その結果、自殺未遂を図って入院をしたり、本屋の見習い店員となるもふたたび脱走。何やかんやでさまざまな職を経験したことが、のちの作品の数々に活かされている、というような内容の文章が書かれていた。
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ふむふむ、と僕はおもった。
「何て人間味のある人なのだろうか」。
何なら僕と、考えも経歴も似ている気がする。いや、もちろん自殺未遂を図ったことはないし、彼と比べて多分そこまでの苦労はしていない。仕事については悩んでいるけど、あしたのパンに困るような生活もしていない。ありがたいことに。
それに、「詩人(書く人)になるか、それ以外のことはしたくない」というのは僕の理想であり、つつみかくさない本音でもある。いまでも書くことに大きな野望を抱いているし、そもそも「もう本にかかわること以外したくない」という思いから前職の建設業をやめて図書館で働くことをきめたのだ。
さて。
だいぶ親近感がわいてきたところで、もっと詳細を知りたくなり、僕はWikipediaで彼の生涯を検索してみた。
「4歳頃から詩を作っていた」
調子にのってすみませんでした。『車輪の下』から勉強させていただきます。
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