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お金が数字に見えてくる

これまでの人生において、貯金、というものにほとんど縁がないまま大人になった。

ただ、あと数年で30代をむかえるにあたり、結婚、出産、教育費、マイホームなどなど、これからの人生で降りかかる、いや、じぶんで手に入れたいと思っている夢や希望のことなどを思うと、このままではいけないなと考えを改めはじめている。

僕個人の話、転職して仕事がぶじに決まれば、給料はいまよりもはるかに増えるので、自由に過ごせる「時間」についてはさておいて、「お金」という意味ではそのぶん生活が楽になることはまちがいない。そう、思っていた。

10年でコツコツと1億円?

そんななか、Voicyというラジオアプリでこんな放送を聴いた。

ざっくり解説をさせていただくと、

どこにでもいるふつうの共働き夫婦が、稼ぎの少ない妻の給料で固定費も変動費もふくめる生活費のすべてをまかない、より稼ぎの多い旦那の給料をほぼすべて投資と貯金にまわす生活をコツコツと10年間つづけたら、1億円の資産になった。

そういう夢のような話である。

この放送主は、資産を増やすためにはなによりも「タネとなる元金」が重要で、そこをいかに増やせるかが勝負になると語っている。要約だけを見ると信じがたい話になるが、放送を聴いているかぎり言っていることは非常にシンプルで再現性が高い。

ようは、たくさん稼いで小さく暮らして、残ったお金はすべて投資にまわす、それだけである。

投資については、僕もいつか勉強をして力を注ぎたいと思っている。ただ、今日はもう少し別の角度から書くことにする。

お金は所詮、ただの数字。

1億円というとものすごい数字だが、実際に口座に入っている額はもう少し細かい。当然、1億円がぴったりそのまま入っているはずもなく、1億1千万円かもしれないし、1億とんで765万4321円かもしれない。

なにが言いたいのかというと、「1億円という数字が大きすぎて、つづくお金がただの数字に見えてくる」という話だ。

以前に読んだ本のなかには、こういう例え話が出てくる。

仮に「『1億1万円』のマンションが、明日になれば1万円安くなって、『1億円』になる」ことがわかっていても、多くの人は、明日まで待つことはありません。「1億1万円」でも「1億円」でも大差ないと考えてしまうからです。
しかし、「1万円のワインが、明日になれば無料になる」とわかっていれば、多くの人が明日まで待つでしょう。

年収1億円になる人の習慣 / 山下誠司

もし僕の口座に1億1万円があったとしたら、たしかに「1万円ぐらい使ってしまおうか」と軽はずみに思いそうでこわい。

お金の価値を考える。

先日、勤務している図書館で、もう長らく本を延滞している利用者から連絡があった。同僚のスタッフが対応をしたのだけれど、あとから話を聞いて驚いた。

そのスタッフが、はやく返すよう伝えると、「いま、本の執筆で使っているため返せない」と言う。さらに、「図書館の本は、保管するだけでは意味がなく、利用することに価値がある」とまくし立ててきたらしい。

それはあなたが決めることではない、としか言いいようがない話なのだけれど。ただ、「図書館の本」を「お金」に置き換えれば言っていることは理解できなくもない。

お金は使ってなんぼ、お金をお金として持ちつづけることにこだわりはないし、ましてや、「ただの数字に見える」ほど増やすことに意味があるとは思えない。

せめて、有意義に使いきって、死にたいものだ。

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