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知れば知るほど、馬鹿になる

また、転職の話から書き始める。

僕は、もうすぐで28歳になる。面接にて、少なくない回数で聞かれた質問のなかに、「(建築の)専門の学校を出た、(君から見て)歳下の子たちが、4月からたくさん入ってくると思うけど、やっていける?」というものがあった。

なんだか、見下されているような、脅されているような、どちらにしろあまりいい気持ちがしない質問だと思った。とはいえ、面接はもともと心地いいものではないことぐらいわかっている。だから、あまり深く心には留めずに、あたりさわりのない返答をするようにしていた。

ただ、よく考えたらnoteのネタになる話だと思ったので、ひとり勝手に深掘りしていきたい。

質問の意図。

というのも、さきほどの質問の意図は、「君よりも歳下で、かつ、学校で知識を身につけた人間がいるわけだけど、それでもめげずに頑張れる?」ということだと思う。そのまんまだけれど。

その答えなら、イエスに決まっている。僕じしん、建築が理系の専門職とはいえ、学校で学んだだけの知識が現場ですぐに使えるとは思っていない。そりゃあもちろん、ないよりはあったほうがいいに決まっているけれど。それよりも、実務経験があることのほうが、よっぽど有益に違いないからだ(そうであってほしい)。

それに、第三者から見た評価についてもあまり気にする必要はないと思う。評価するのはあくまで他人だ。知識があろうが資格があろうが、じぶんが影響を与えられる部分だけに力を注げばいいのだと思う。

知れば知るほど、馬鹿になる。

むしろ、学校を出たことで変に「建築のことはわかっている」などと自信があるほうがよっぽど問題だと思うのだが、どうだろうか。

有名な古代ギリシアの哲学者・ソクラテスも、「無知の知」と言っている。知らない、ということを知ることは難しい。

勉強に終わりはないはずだ。学び始めるのに遅いということもない。専門職において学歴や資格が重要視されるのは当たり前だが、かといってそれがあれば優れているというのもおかしな話である。

人はだれでも、知識をつけると馬鹿になる。

知識をつけると、それだけ周りの人の意見に耳を貸さなくなることも多い。それに、勉強をたくさんすればするほど、「じぶんはまだまだ知らないことがありすぎる」と現実を知るものだ。逆に、勉強をまったくしなければ、そもそも知らない、ということにも気がつけない。

それでも、やっぱり。

ようは、その人の努力次第でどうにでもなる。面接官もそんなことはわかったうえで、僕のやる気を確かめるために放った質問であることももちろん理解しているつもりだ。

それでもやっぱり、こうしてあとから考えたり、悔しくなったりするのは、心のどこかにちょっとそういう負い目のようなものがあるからかもしれない。「あぁ、学生時代にもうちょっと将来について考えていればなぁ…」

人生で、なにかをやり始めるのに遅い、ということはないとはいえ、やり直せられるのならぜひそうしたいものだ。

さて、今日が残りの人生でいちばん若い日。後悔のないよう、地に足つけて歩いていきたい。

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