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僕とnoteと、五月病

五月病、というものだろうか。

ここ最近、noteにたいして消極的な感情になることが多い。まったく書く気が起こらなくなったし、書くことがめんどくさいと思う日も少なくない。いまもそれらのきもちがないわけではないのだけれど、多少はやる気になってきたのでパソコンを開いてみている。

なんでだろう、と考えてみた結果、あるひとつの結論に思い至った。

「いい記事を書きたい」

このきもちだけが先行してしまっていて、書くハードルがそびえ立っているのだと思う。実力もないくせに、これはよくない。

ところで、五月病とはなんなのだろうか。名称から推察するに、学校でも会社でも4月から新年度がはじまり、気が緩みだすのが1か月ほどが経った5月頃だということなのか。昔もいまも、どんな人でもこういうきもちになることはある、ということなのか。

じぶんとか他人とかに、過度の期待をしすぎるのはよくない。それが叶わなかったり、場に慣れて「まぁこんなもんでもいいか」というきもちになったりしたときに、期待を裏切られたことによる反動が大きくなって苦しむことになる。

思ったことや感じたこと、身の回りの事象から考えたことなどを、気の済むままに咀嚼して言葉にすることを、また楽しめるようになりたい。ゆっくりと、時間をかけてまた取り戻していけばいいと思っている。

noteとは、末長く良好な関係で付き合いつづけたいものだ。

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