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山がある、川がある、それでも京都人は、「植物園」に行きたいと言う

昨晩は、冬物の寝具に後悔をした。「さすがに毛布は今晩で片付けるかな」と決意をしながら、僕は半袖半ズボンの少年みたいな格好で寝ることにした。

朝起きて、さすがにまだ朝は冷えるな、と昨夜の考えを改めることになった。毛布にくるまりながら、なかなかベッドから出られなかったのだ。

4月のなかば、数日前まであんなに堂々としていた桜が散り、かわりに緑の葉が風にゆられる日曜日の朝。僕も彼女も仕事が休みだったのだけれど、とくに予定もないので家で資格試験の勉強でもしようかな、と話をしていた。

そんなとき、彼女の妹からLINEがきた。

「植物園に行かへん?」

まぁ1日中いるわけでもないし、天気もいいので乗り気になった。それにわけあって、近々京都を離れることになりそうなので、行けるうちに行っておこうと、僕たち3人は、京都府立植物園に行くことになった、

のだが...。

着くと、入園口付近には人だかりがあった。園内に野生のシカが現れて、入ることができなくなったのだ。結局、昨日は、終日休園となったらしい。

シカのことは別にいい。野生のシカぐらいそこらへんの山にはいるのだろう。それにしても、不思議である。京都は、三方を山に囲まれていて、鴨川や桂川などの大きな川がある。海こそないが、人から言われるほど都会の喧騒は感じにくい。それでも、京都人は、わりと少なくない頻度で「植物園に行きたい」と言う。

まわりにはいくらでも自然を感じられる場所があるというのに、わざわざ入園料を払って自然を観に行くのだ。

いまの時代、スマホからサブスクをつかえば、いつでもどこでも映画などを観ることができるのに、映画館に行きたい、と言うのと同じなのかもしれないと思った。

このことを彼女たちに尋ねると、「植物園でしか観ることができない草花をもとめて行きたくなる」のだという。たとえば、当園の温室には、めったに観ることができない世界の変わった植物があった気がする。

そうか、そういう考えもあるのか、と僕は思った。僕は、さすがに植物にはほとんど興味をもったことがないので、「あの花が観たい」という欲を満たすために植物園には行ったことがない。

どちらかというと僕は、200円(安い!)という入園料を払うことで、「草花にお金を払う」という考えをもたない人を除外できるというメリットがあるからだと思っていた。実際に、紅葉などの時期は、どこのスポットも混んでいるので、京都人が植物園に行くケースはわりと多いのかもしれない。

ところで、あっというまに千文字も書けている。

ひとりで考えていても書けるのかもしれないけれど、やっぱり人と話したり・出かけたりするといろいろな考えに触れられておもしろい。

さすがに、こうして実際に文章にして書く段階ではひとりでなければいけないけれど。日常を明るくすることによって、noteもともに育っていくのだ。

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