総理大臣にさえも代わりがいるこの世の中で、誰かにとってのかえがきかない存在になれればなぁとか思ってみる。

本当に必要なこと、大切にしなくちゃいけない事は、
たとえ自分がやりたいことを、人に否定されたり
価値をわかってもらえなかったり、
こっちの方が正しいんじゃないかこっちの方が賢いんじゃない?
って言われたとしても、自分自身がやめない、とか、自分のことを信じるとかそういうことが1番大事なんじゃないかな。

UVERworldのいう、在るべき姿とか在るべき形っていうのは、こういうことなんじゃないかなって思う。人生はどんな人でも一回しかなくて、じゃあその一回をどれだけ楽しめるかは、「他人から理解されないからやめる」、とかじゃなくて自分が本当に心の底からワクワクすることをやり続けられるかどうかなんじゃないなかと。

「どんなに自分がその人のことを好きでも、自分を大切にしてくれない人からは離れることも強さだし、それは自分を大切にすることと同じらしいよ」っていう考え方をUVERworldから学んだから、友達にもしてみた。きっとそれも上に書いたことと同じで、自分が心のそこから大切にしたいことを、心から大切にした時に、一緒に喜んでくれたりする人の話にきちんと耳を傾けるべき、っていう話につながってくると思うんだ。

今日面接の帰り、サッカー少年がパパと歩いている光景を見かけた。
自分が大人になって彼女と結婚して子供ができたときに、自分もそうやって1人のパパとして、その子の夢を一緒に追いかけていくことになるなるんだろうなと思った。
小さい頃は自分が親に試合場所まで連れて行ってもらってた。
そうやって考えると、自分も特別な人間になるというよりは、ただ例外なく人生終わっていくのかもしれないとも思う。
だとしても、例外のない移り変わりの中でも、俺は子供に嘘をついていきたくないから、これからも俺は一番俺らしく、自分の気持ちにも相手にも嘘をつかずに生きていきたい。

誰かに自分らしく素直に生きろと言うのであれば、自分が1番体現していなくちゃいけない。だから在るべき形、在るべき姿であり続けたい。総理大臣でさえも、代わりがいる世の中で、誰かにとってましゅんと言う存在が「どうしてもかえがきかない」とか、そういう人になりたいし、そう思ってくれる人が多ければ多いほど、たとえ特別な誰かになれなくても、心の中にましゅんが居続けられるのであれば、俺にとってはそれが幸せだし、すでに俺のことを大切に思ってくれてる人がいると言うのであれば、その人たちと、あなたと、これから先も進み続けたい。

自分の名前の前につく、肩書きとかいう身ぐるみが全て剥がれたときに、絶対に残したい自分の枕詞になるようなもの・スタンスを忘れなければそれでいいんだなぁ。

〇〇大学のましゅん。じゃなくて、優しいましゅん。みたいに。


「ずるい奴が笑う世界、そう言いながら物事が、ゆっくりでもいい方に進むと信じて今日も、正しく進もうとする君は素敵だよ。そんな自分を君も愛してあげてよ」

意味がわからない。理解ができないことはたくさんある。絶対におかしい。俺の方が正しい。そう思うこともたくさんある。そんな中でも、自分にできることを、自分がやりたいことを全力でやり続ける。成長しなくなったら俺は終わりだ。現状にあぐらをかくようでは俺ではない。いつまでも進み続けたい。

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