死生観、アイデンティティ

レジデイ

今年度最初のレジデイがありました!KFCTでは年に数回、家庭医専攻医が集まって普段よりも家庭医療学をさらに深く学び、ローテーションでの悩みを共有する事を目的に勉強会が開かれております。

今回のテーマは「死生観」「アイデンティティ」

どちらも自分の興味関心が強い部分で、特に死生観については一度自分を振り返るいいきっかけになったと思います。

「死生観」

 救急で突然の死を迎える方。病棟で治療の甲斐なく亡くなっていく方。寿命が尽きかけて最期の時を待っている方。

 思えば医師になってたった1年で多くの方の死に触れ合って来たと思います。Acute care surgery の実習で初めて人の死を目にした時、「死」という出来事に圧倒されていた時と比べて、今、こんなにも死が日常になってきているのかと見つめ直しました。

 たくさんの人生が目の前を通り過ぎていく日々、今の自分は生き方・死に方についてどう考えているのか。死について考えることは、生について考えることと同義であると。

ー70歳のあなたはどこで、誰と、何をして過ごしていますか?

ー70歳のあなたが余命6ヶ月と宣告されたらどんなBUCKET LIST(死ぬまでに行うことリスト)を作りますか?

ー今、余命2ヶ月としたらどんなBUCKET LISTを作りますか?

 今まで、バイクで吹っ飛んで死を覚悟したこともあれば、精神的に追い詰められて死ぬことしか考えられなくなったこともありました。自分にとっては割と日常的に自分の死を考えていたと思います。そういった中で自分のLISTを見直すと、自分の死生観は少し周りと違っているかも?と気付くことができました。また、年が離れている先生方のLISTと近い年代の先生方のLISTにも違いが出ていて、非常に面白い経験でした。

 得てして死に直面した状態ではBUCKEST LISTを作るためのエネルギーが出るまでには時間がかかってしまいます。精神的にエネルギーがある状態で自分のBUCKEST LISTを考えておくことは非常に大切なことだと思います。

 本当の願いは直前にならないと出てこないこともありますが、人生を振り返り本気で考えたことは最期も大差ないはずです。

 十人十色の死生観があり、その観念はその人が全うするべきで横槍を入れるものではない。自分にできることは、日常的に死に触れている者として、その人の理想の死と現実との違いをすり合わせてあげること。そして死生観にあった生き方、最期の迎え方をサポートすること。願わくば、死の最期まで笑うことができるようにすること。(ユーモアを持つこと。)

ゆりかごから墓場まで、そしてその先を支えることができるように、死生観について患者と話すことができる医師になりたいと思っています。

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「アイデンティティ」

 海外の研究で、どのような人が将来GPを目指すのか調べた物があり、GPという進路選択に影響を与える要因も規定されている。そして、「偶然総合診療医になったのではなく、自ら総合診療医を選んだ、となるような15の推奨」がNHSから提唱された。

 もっと総合診療医・家庭医が増えてほしいし、教育分野にも興味があるのでとても興味のある話題でした。

 家庭医・総合診療医がキャリアの中で常に悩まされるのが generalism vs specialization の構造であり、家庭医の「専門性」は何なのか、「専門がある」と言っていいのか。様々な矛盾を抱えている。家庭医は「家族」を専門とするのか。そう定義してもやはりコンフリクトは生まれてしまう。

 自分が有能であると認められるには限られた領域の知識のエキスパートになることが手っ取り早いし、家庭医研修では専門科をローテーションするので無意識にspecializaionの圧力がかかってしまい、生存本能として専門性志向を持つようになる。

 生物としての生存本能として、環境で生き抜くためには分断化して専門化していくことが普通であり、コントロールがなければそれは加速していくというお話でした。そして、なぜ日本がそのようになってきたのか、その背景も非常に興味深いことでした。

 家庭医のアイデンティティは他者との関係性によって定義されるため、自分の仕事を「不動のものとして」明確に定義できない。常に、どう自らを定義すべきか必死に考え、どう振る舞うことで最もパフォーマンスが発揮できるのか考える。

 このスタンスを理解して実践できるまでにはまだまだかかりそうです。

 生存本能に逆らいジェネラリストで居続けることには必ず意味があると思います。高度に専門分化された医療ではこぼれ落ちる人がいるのはもちろんですが、ジェネラリストではないと救えない人もいます。医療だけでも救えないし、より広く多角的に考えられるようになりたいです。

 昔サッカーしてた頃もラグビーしてた頃も、一つのポジションの専門職としてプライド持ってやっていたような気がします。職人気質で一つを極めることにやりがいを感じていたので自分は完全に専門医志向だと思っていました。それが今ではジェネラリストを目指しているのはずっと不思議な感じがしていました。

 しかし、「相談事の種類を限定しない・どんな人にでも差し伸べられる手を持つ」そのような理想の自己実現の方法として家庭医を目指すことにつながったのだと思います。医療の世界では〇〇専門医というのが専門職に見えるけれど、世の中からすれば「医師」は専門職で、自分は「医師」としての自分を極めていきたいというのが本当の気持ちで、それでいいんだと思えたのが良かったです。

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