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わかりやすさが差別を生み分断に拡大する図式を説明した本「わかりやすさの罪」

本(わかりやすさの罪)

様々なメディアに執筆する武田砂鉄著の本です。雑誌「一冊の本」に連載されたコラムを単行本にまとめ、さらに文庫本にしたものを読みました。

タイトルの「わかりやすさの罪」というのは、おわりに(あとがき)の中で、出版を依頼した朝日新聞出版の担当者が当初つけた仮タイトルであったと書いています。その担当者が危惧したのは以下の通りです。

「最近、日本語がどんどん「易しく」「わかりやすく」なってきているように感じられます。機微や行間のような部分は排除されて、受け取る側が想像する余地がない、ストレートで額面通りにキャッチできる伝え方が重宝されているような印象もあります。(中略)そういう言葉ばかりにふれていると、受け取る側も「わかりやすくない」ものを理解しようとしなくなり、感覚が損なわれていくような気がいたします」

本書はそうした「わかりやすさ」に潜む罪について、全編一貫して書かれていますが、その趣旨はわかりやすさを優先する余り、文章や会話の多角的な論理や、その延長としての価値観の多様性などがそぎ落とされてしまい、わかりやすいものしか受け付けない、理解できない状況に現代が陥っているというものです。

価値観の多様性をそぎ落すということは、そうした価値観を認めない、許容しないということへ拡大していく風潮であり、それはSNSなどでの差別やヘイトスピーチを始めとして多くの現象が確認できます。

ここで筆者が指摘するのは、自分の考え以外にいくらでも異なる考えが存在することを、頭の中で用意できる人とそうでない人の、差異の酷さ。さらに用意できない人が公権力を持つ人たちの中に存在している事実です。そう言われれば国会議員から大都市の首長など多くの人物が目に浮かびます。そういう人物に国や地方を任せる危険性を述べており、そうした政治姿勢は、価値観を統一して唯一の価値観の強いる全体主義へと変貌していきます。

同じあとがきに筆者は以下のように書いています。
「万事は複雑であるのだし、自分の頭の中も複雑な作りをしているのだから、その複雑な状態を早々に手放すように促し、わかりやすく考えてみようよと強制してくる動きに搦め捕られないようにしよう。私たちは複雑な状態に耐えなければならないし、考えなんて、考えないと出てこないのだから、考えるしかない。そうすることによって「わかりやすさ」から逃れることができるはずなのだ。」

「わかりやすさの罪」は、個人的見解としてもネットの主役であるSNSにより育成されて拡散していったと、認めざるを得ない事実だと実感しました。

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