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一人で産み、育てようとする人へ

未婚シングルマザー、まもなく3歳。
一人で産み育てる決意をして、妊娠期を含めて約4年。

まだまだ道半ばだが、いま時点で思うことを、振り返りも含め書いてみる。これから足を踏み込む人、同じ立場の人向けに、綺麗事ではないリアルを綴ってみようと思う。

ゆきやと2歳

一人で産み育てるはムリゲー

私は特に、無理寄りの無理タイプポケモンである。完全に一人で出産、近所に頼れるところはなく、金銭的支援も皆無。

家から電車で1時間ほどのところに、母とあっちゃんが住んでいて、本当にどうしようもないときにヘルプをしてもらうことがあった。母とあっちゃんになんとか生かされていた。

そんな私は、東京から青森に移住した。母とあっちゃんのいない世界だ。真なる一人相撲だ。

気付かぬ間にムリが蓄積

一人相撲はとてもラクだ。常日頃、マイペースに過ごせてとても楽しい。お子との時間はとても尊く、日々がノスタルジックで溢れている。

しかし、もちろん毎日円満なわけではない。とくに2歳前後のイヤイヤ期といわれる期間は、親の忍耐が限界を迎える。

私は特に、人に頼ることが極端に不得意という特性をもつ。何でも自分でやろうとするタイプだ。子どもとの暮らしにおいて、全部一人で背負おうとすると、完全に親側が壊死する。私は、壊死しつつなんとか生き残っている。でも、いつ死ぬかわからないと思う。

今までも何度か、自分の意図とは別に、ふいに脳を何かしらに支配されて

「このまま海に飛び込もう」
「橋から落ちよう」
「崖に突っ込もう」

など、ほぼ無意識に極端な思考に陥ったことがある。自分でも、後からなんてバカなことを考えたのだろう、と思うが、その当時は正常な思考力がないので、ナチュラルにそんな思考が芽生えた。人間は不思議だ。

他者の介入が必要

私は、特に人に頼れず根暗なので、生活のなかに他者との交流が少ない。そうなると、子vs親という二人の狭い世界で、お互いにどん詰まる。

親は、大黒柱として仕事をせねばならないし、母としての機能と父としての機能を両方やらねばならない。
子も、父として頼れる存在と、母として甘えられる存在の両方を家庭内に求めることが複雑で、居場所のなさを感じることもあると思う。

この二人の共依存関係や、行き場のなさを解消するのは【他者の介入】なしにはあり得ない。
我が家は保育園にお世話になりつつ、その他プライベートでお会いする大人たちによって、少しずつ『二人の世界』以外の生き方を、お子が体得してくれているように思う。やはり、親以外の存在がとくに重要に思う。

父と母、両者が必要というよりも、「親と子」の【二人】という狭い空間で行き詰まることが何よりも危険だと思う。父でも母でも、男でも女でも、何でもいいから【第三者】という存在が、二人暮らしの親子には必要不可欠だ。第三者の存在意義は、想像以上に大きい。

誰でも第三者になりうる

電車で出会う人、公園で出会う人、仕事仲間、友達、あらゆる社会生活において、誰しもが【第三者】になる可能性を日常に秘めている。

私だって、どこかの親子からしたら【第三者】であり、その都度私にできる役目があるのだと思う。
いまは、昔のような大所帯ではなく、核家族かつひとり親も多い。子どもと接するのは家族のみならず、社会で接するさまざまな人たちの存在がとても大きく影響する。

未婚シングルマザー、ひとり親という立場において、日々を健全に過ごす秘訣は、どうにも周りの環境次第かと思う。他責にしたいという意図はなく、リアルな体験としてそう感じる。周りに理解ある人が一人でもいなければ、そもそも成り立たないと思う。

一人で産み育てる難易度は高い

私は、未婚シングルマザーという生き方が性に合っており、本当にこの生き方を選んで良かったと思う。しかし、これを人に勧められるかと言われれば、そうではない。無責任に勧められない。

私は困難に慣れっこなので、スムーズにこの生活を謳歌できているが、そうじゃない人に安易に勧められる選択肢ではない。人によっては地獄をみることになる。

それでも、逆に言えば適切に第三者の介入があれば、完全に家庭は回せると思う。いかに閉塞的にならないか、そこが重要なのだろう。

私も自戒を含め、独りよがりにならないのなら、シングルの暮らしはより豊かに、よりハッピーになると思う。そして社会を構成する私たち一人ひとりが、そこに介入する第三者であり得ること。それを自覚しながら、過ごすことができれば、少子化という時代でも産みたい人が産めるインフラを少しでも担えると思う。


ふと、発信したいと思った1人子育て紀行。また気まぐれに更新します。

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