見出し画像

新茶とフキおば🍵  


立春から数えて八十八日。
八十八夜。
今年は5月1日でした。

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る♪

スーパーの棚に、新茶が置いてあることに
気づいたのは昨日でした。
「これを飲めばきっと元気が出そうだ」と
お守りのように買うここ数年。

今日は雨。

ゆっくり淹れてみたら、やはりいい香り。
目にも鮮やかな若緑と苦味と甘さと。
野菜かりんとうも美味しいよ。

お茶を飲んでいると思い出すのは、
30年以上前に亡くなった祖母です。

母方の祖母で福島の人。
働き者で、山の植物に詳しく、
盆踊りが好きで納豆好き。
竹を割ったような性格と
自分も周りも言っていた。

福島にいた頃は、入れ替わり立ち替わり
縁側に誰か来てお茶を飲んでいたそうです。

お茶受けはつけ上がったばかりの
梅干しや糠漬け、干し芋…。
学校の先生も毎日帰りに寄っていた。

そこで村の誰それの噂話や近況、
どこぞの誰が
狐に馬の糞饅頭を食べさせられたとか、
火の玉がグルグル回っているのを見たとか、
人が死ぬ前の「虫の知らせ」のことなど諸々。

このおばあちゃんは、歳をとって息子の住む川崎に引っ越して来ました。
元気な時は相変わらず、近所の人と縁側でお茶を飲んでいました。
皆に「フキおばぁ」と親しまれていました。

こちらに来ると寂しそうに
「山に行きたい」と呟くので
小さい私は、大きくなったらおばあちゃんを山に連れて行ってあげたいと思ったものです。

若い頃、乳離れしていない(母にとって)弟を家に置いたまま、三日三晩家を空けたことがありました。
小学生だった母が背中に弟をおんぶして
学校に行き、給食のパンを分けてやったそうです。

「授業中泣かれて困った。
 先生も友達も見守ってくれたけれど
 あの時は大変だった」

と今でも82歳の母が言います。

フキばあちゃんは、盆踊りに行っていた。

歌が上手いので数ヶ所から声がかかり、
一晩中「月が出た出た〜🎵」とやっていたらしい。マイクのない頃。
とてもよく声も通る人でした。

その祖母が亡くなったのは、
私が27歳の時でした。
最後の言葉は

「旦那さんの顔が見たい。」
「〇〇ちゃんの子どもを抱っこしたい」

ひええ。
あの頃は「全員結婚しろ」の時代でしたので、四方八方からの圧力に参っていた私に最後のトドメでもありました。

などとお茶を飲むと思い出します。
あと、白磁の薄手のお茶碗も欲しいなぁ。

30年以上。あの世で少しは年季が入り、
立派な仏さんになっているかもしれません。

おばあちゃん、私も来年は還暦だよ〜。

つくしや蓬を摘む楽しさを
教えてくれたのも
アケビやエビネや金蘭を
教えてくれたのも祖母でした。

納豆が好きで盆踊りが好きなのも
遺伝子か。
そう言えば私はヤグラのてっぺんで太鼓を叩く人になりたかったっけ。
(これは夢が叶い、何度か盆踊りで叩かせてもらいました。てっぺんではなかったけど)

おばあちゃん、
今になって山歩きや散歩の楽しさが
わかるようになって来たよ。
ありがとう。

たべっ子どうぶつのチョコ

現代人の私はこれも美味しい。
冷たい牛乳にチョコの沁みたクッキー🍪

食べっこ水族館とは知らなかった。
美味しいですよ😋。


            終わります🍵



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?