『日常>非日常』の思考な私
4月の私の休日のは、毎週の様に大きなイベントが重なった。1週目は末っ子の就職祝いで丸1日お出かけ。2週目は次女の結婚式。3週目は念願の彼のとディズニーデート。今週末に控える4週目は、県を跨いで出かける友達との旅行。
全部が、ずっと前から、『いつか叶えたかったこと』なので、今月は毎日、それぞれの予定に対する気持ちが、本当に強かった。情報収集や予定計画。更には、なかなか思い通りに進む訳では無い為の代替案までも、延々と調べ尽くした。私だけでは決めきれないことは相談する。だけど、自己主張も強い自覚もある。みたいな繰り返し。『ああでもない、こうでもない』と、最善の納得プランをひたすら考えた。その影響もあってか、気づいたらブログ更新減っていた。それくらい、『自分の満足のために忙しく過ごす』なんてのは、いつぶりだろうか?と不思議な感じがした。
『日々を満足して過ごすこと』が私のモットーなのか、『それ以上の非日常的な事』は自然と考えることが減っている。私の中で今回、こんな風に忙しかったのは、『ある意味たまたまタイミングが重なったから』である。【非日常の楽しみ】と言うよりは、【いつか叶えたい夢を、より充実させたい気持ち】が本当に強かった。
もちろん、イベントが実際に終わってみても、100%思い通りに叶った訳では無い。むしろ、『あれだけ試行錯誤したんだけど、そりゃそうもいかないよね😂』くらいな気持ちだ。逆に、予想外の展開もあったりして、【どんな結果でも満足する・しない】は、『結局は自分だ』って改めて思っている。そして、【それを叶えるために行動する・しない】も『もちろん自分だ』って話。
私は、常にそう考えるように意識しているので、周りに対して『期待したり、反応を予想したり』なんて気持ちは、極端に減った。相手だって、『やりたければやるだけだし、その気が無ければやらないだけだ』って思って、納得するようになった。つまり私は、『全て試行錯誤の時間も行動に対して、『私の意思でやっただけ』の感覚。調べたり考えたりするのは、きっと私の得意分野。それが故に疲れることも、実際あった。だけど、そこで相手の存在を意識する訳ではない。私の日常生活では、そんな時間も行動も確保出来る 【自信】があった。そしてそれを、【私なりに最大限やってのけたい気持ち】が全てだった。だけど、【自分の知識や情報が甘かったことを指摘されて、反論出来なかった時】は、さすがに萎えた。本人にはきっと『悪気はないし、思ったことを言っただけの感覚』だと私は解釈している。反論出来なくて【悔しい、情けない、悲しい】って気持ちは、【自分の感情=自分の問題】だと考えている。ならば、次から言わせないように、【自分が反論出来るだけの自信を持ち合わせればいいだけ】のこと。
そんな、個人的に大変忙しい4月も、気づけば既に終盤だ。忙しかったお陰で『普段の日常にも支障を来たす』みたいな現実も若干ある。言う程大きな問題では無い訳だけど、私は、やっぱり『日常生活に満足して生きたい気持ちが強い』のかもしれない。『相手に変な期待をすることなく、自分が自分のペースで自分らしく生きること』に尽きる。すると、『相手への不満は自然と無くなるし、そんな思考さえも生まれない』と私は自覚している。そんな私だからか、実際、『久々に体力的に疲れた自分も含めて満足』している。
とはいえ、そんな忙しい週末の連続なんて事は、『しばらくは遠慮したい気持ち』なのが【本音】である(笑)
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