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進次郎思考のススメ

こんにちは、Mリーグを中心に麻雀ファンやらせてもらってます、Mリーグファンと申します。

※Xアカウント
Mリーグファン🌸(ID:@M69948137)

このnoteは、

世間は相変わらず騒がしいけど、みんなそれぞれ麻雀、もっと言うと自分の人生を楽しめたら幸せだよね!

というお話です。頭の中お花畑の平和ボケしたnoteが読みたい稀有な方は是非お読みください。


※基本的に私は、「気が合わない人」であってもみんなそれぞれに幸せになって欲しいと思っている人間なので、誰かを貶めたり批判したりする意図はないので悪しからず。文章力のなさゆえ誰かを傷つけたり怒らせたりしていたとしたらごめんなさい🙏


炎上に次ぐ炎上

・Mリーグは「最高峰」なのか
・脱ギャンブルとCMラインナップ
・デジタルvsオカルト
・打牌批判vs人格批判
・エンジョイ勢vsガチ勢
・天鳳民vs雀魂民
・麻雀の「チーム戦」と打牌の損得
・「麻雀プロ」の定義
・ファン同士のトラブル
・「香ばしい人」を嘲笑する人々

「麻雀界」で繰り返される頻出炎上あるある

「もうええわ…」「またこの話か…」と流石にSNS疲れしている人も多い印象で、私も漏れなくその1人です。ただでさえ仕事やプライベートも色々あるのに、それぞれのネタに毎回心を揺さぶられていると命がいくつあっても足りません。

入れ替わり立ち替わりネタを変えて「奇妙な人、気に入らない物事などに正論をぶつけて悦に浸ったり嘲笑したりする」ことの快楽、脳への刺激は結構強力で、どんなにいい人ぶってる人ですら、弱っていたらそう言う一面が出てしまうときもあるしなかなか厄介ですよね。

ネット界隈ではそういう価値観を同じくする人を特に「陰湿」と表現しますが、日々目にする炎上は「個人の感想」の集合で生み出されるものであり、人間の性質とSNSとの組み合わせは炎上ネタとの親和性が高すぎるので、残念ながら今後も炎上は起き続けるでしょう。気を抜くと自分もその無限ループに巻き込まれてしまう怖さがあります。月並みな言葉ですが、「自分がどうありたいか?」だけ考えて言動を自省して生きるしかないんだと思います。

「こんな自分でありたい、と思える自分でありたい。」


麻雀もSNSもただの「娯楽」

何事も本質を理解するためには言葉の理解から…ということで娯楽の意味を調べてみました。

「人間の心を仕事から解放して楽しませ慰めるもの」。SNSの巡回も、お気持ち表明も、仕事ではない。楽しいものでも慰めるものでもなければ、娯楽ではないから離れればいい。

「見なくていいものは、見なくてもいいんです」


心が仕事で疲弊してるときこそかえって脳が強い刺激を欲してしまい、ネガティブなニュースや炎上案件の流れるTLに入り浸ってしまうのもまた人間…進次郎の言ってることはわかるけど意外と実践は難しいですよね。

SNS断捨離をやってみた

冒頭に書いた通り、「麻雀界隈、マジでずっと同じネタをグルグル燃やし続けてるの不毛じゃない?俺は本当にこんなことがしたいのか…?」という思いが強くなり、自分のSNSの使い方を見つめ直す時間をとりました。

そうすると、思っている以上に自分にとって特に重要でもないニュースに無自覚に心と時間を奪われていたことに気づきます。



自分の価値観、本当に好きなことをもう一度見つめ直すと要するにこんなところでした。

・麻雀を楽しみたいし、もっと強くなりたい
・麻雀が好きな人、強くなろうと頑張ってる人が好き

普段摂取しているTLからの情報には、これらとは全く関係のない「麻雀界」のネタで溢れていました。まったく楽しい気持ちにもならないし麻雀も強くならない…はっきり言って無駄です。

そして、悲しいことに、食生活が乱れると身体を壊すのと同じように、「見たくもない情報」を無自覚に見続けたことにより、自分の性格まで自分が嫌いな性質が少し強まっていたことに気づきました。

人間は聖人君子ではないので、誰しも陰の性質と陽の性質を併せ持っていると思います。程度問題、どこで発言するか、しないかはあるにしろ、「理解できないものを嘲笑う、バカにする」などの性質は少なからず自分の中に飼っているのではないでしょうか。

自分の機嫌は自分でとる。自衛が大事なんだなと思います。自分の嫌いな感情を生み出したり、見ていて心が穏やかではなくなる情報をバッサリ目に入らなくすることで、少しだけ心の平穏は回復し、大事なことに時間を集中できるようになりました。

※そのアカウントの中の人が悪い人じゃなくても、その人が都度触れるネタであったり関係者とのやりとりだったりがストレスになっていることも往々にしてありました

脱・八方美人

好きなこと、嫌いなことを(適度に言葉には気をつけながら)明確に表明して、SNSの機能であるブロックやリムーブを使って閲覧範囲を極度に絞り、誰にでも等しく好かれることを諦めた結果、面白いことが起きました。

自分に好意的ではないアンチも増えた一方で、自分と気が合う人との繋がりがより濃くなりました。「みんなはああ言いますけど…」とわざわざ好意を示してくれた人もいてシンプルに嬉しかったです。

幸せならば、OKです

私に嫌いな人や気が合わない人がいるのと同じように、私のやることなすことが気に入らない人、気の合わない人は当然いると思います。

Xをつかっている以上は、「麻雀界」に現れる「奇妙な人」の一部には誰しもなる可能性があるし、明日このnoteが炎上することも、読んでいるあなたの知り合いが炎上することもあるかもしれません。

ただ、そういう炎上を楽しんでいる人たちもまた、SNSの特性を活かして楽しんでいるだけなので、まぁ好きにやればいいんじゃないかな?と思います。それぞれがそれぞれの価値観で楽しんでいるならば法を犯さない限り基本的に自由。他人の楽しみ方にやいのやいの言えるほど自分も大した使い方できてません。

「分かり合えない人とは、分かり合わなくていいんです」

推しは推せるときに推せ

Mリーグにより熱狂がひろがり、麻雀界隈にいるファンの多様性も、その受け皿となる麻雀エンタメの多様性も増しています。総じて、とてもいい時代になりました。

「推しは推せるときに推せ」

この言葉は使い古された名言ですが、最近少し気づいたことがありました。

「推しがいつ表舞台からいなくなるかわからないから推せるときに推せ」という意味で捉えていましたが、推しも推しのファン層も変化するし、自分も変化するので、「その熱量で推せる期間って案外長く続かないもの」ということが本質なのかもしれません。

推しが被ると価値観が似てることが多いし、複数の推しが被る人とは価値観の重なりが多くて気が合う場合が多いから、そうやってできた友人は貴重だし一生の財産になるかもしれません。私の今セット仲間のほとんどは渋川さんのYouTubeで知り合った仲間です。なるべく失いたくない財産です。

一方で、人の価値観は時が経つと変わるので永遠に重なり続けることも期待しすぎないほうがいいかもしれません。今ある縁に感謝して、今を楽しめばいいですね。

「一緒に打って楽しい人と一緒に打つ麻雀は楽しいんです」


まとまりのない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

これからも、進次郎のようにシンプルな思考で、心から麻雀を楽しみたい人が、心から麻雀を楽しめますように!


おわり

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