社会の強要に反発

安楽死、尊厳死、生と死に関しては色々思うところがある。

自身の中で出すべき結論だと思うが故、社会が結論を強要する風潮を危険視しているのかもしれない。

結局は、人の数ほどの生き方、死に方、考え方があって良いのだと思う。

同時に、今…… いや、昔から医療費が匿名化されていないことによって保険で問題が起きてきた日本で、マイナンバーというのはいかがなものかと疑問視してしまう。収入、職業、医療費、と色々紐付けすることはゆくゆくは他者が誰を「安楽死」の名の下で排除するか決めるためのように思えてならない。

ナチスドイツで、障害者が虐殺されたことを、あなたはどう思いますか?

ユダヤ人が収容施設で大量に死んだ…… いや、虐殺されたことをあなたはどう思いますか?

近年、じわじわと年齢で命の選別をする思考の肯定が広がっていることを危惧する。

最初は、多くの人が反発しないことからじわじわ広がる思想。

そこから、徐々に徐々に、一歩一歩過激な考えへと進行していく。

しかし、それが緩徐に変化していくから、過激派が「常識」として進達する頃には、一般人の間で…… いや、過半数の間では、それがもはや「過激」と捉われていないのだろう。

だからこそ、危険だと思う。

「老害」という言葉がある。

私にとっては、今でも非常に不快なこの言葉を、母が使っていた。

それも、自分のことを指す発言の中で用いたのだ。

私としては、自分の母親が彼女自身を貶すことを非常に不快に感じる。

嫌いな言葉で、排除や死を関連づける言葉を用いるのは、正直ショックだ。

新型コロナについて、「姥捨山」とも何かの拍子にポロッと口にした。

私は現在高齢者ではない。

ただ、いずれは全ての人が老いる。

まぁ、老いる頃まで生きているかというのは、また別の問題だろうが……

それでも、盲目的に年齢で命の選別をすることには抵抗が強い。

80歳で畑を耕し、日本を支える高齢者も結構多い。

もう一つは、一つで選別を許容したら、それは「命の選別」を肯定することになる。

その線引きがどんどん増えていく。

いつしか、命の価値を押し図る行為自体が常識と化してしまわないだろうか?

これは由々しき事態ではないだろうか?

話が急に変わるようだが、後で繋がる。

私は、臓器移植を肯定している。

どちらかというと、オプトアウトにして、脳死判定された人が全員ドナーになって良いのではないかと思っている。

何故?

もちろん、生きている人が助かるから、命や人生を助ける臓器移植を肯定するというのもある。

せっかく命を救える可能性を秘めた魔法の「それ」を、火葬して燃やしてしまうのもなんだか切ない。

私ならば、死後誰かの役に立てるのならば、ドナーでも、解剖検体として教材にでも喜んでなりたいと思う。

病理解剖でデータとして、社会貢献できるのならば、そうしたいと思う。

加えて、人は死んだ瞬間に天に召されると考えている。

死体に魂が残り続けるとは、私個人は信じていない。

だから、葬儀ですら、遺族や友人のまだ生きている人々の心の整理のための儀式くらいにしか思っていない。

しかし、他の考え方をする人がいることも理解できるし、彼らの考え方を無理やり変えようとは考えていない。

しかし、臓器移植を肯定するもう一つの理由は、医療費にある。

移植は高いのでしょう?

うん。高い。

でも、その後社会貢献して、保険料や税金として返せば良いじゃない。

そもそも、移植せずに提供され続ける医療と移植を比較したら、どちらが高いのだろう?

積極的に移植をする国が、右肩上がりであるのならば、きっとその国々でデータが移植の個人と社会への両方のベネフィットを裏付けているのではないだろうか?

だからこそ、安楽死や尊厳死を社会が推進する場合には、その真意を疑う。

人類の長い長い歴史の中で、安楽死が積極的に行われてきただろうか?

そして、何故今まではそこまで社会や政府としては積極的ではなかったのだろうか?

ならば、何故今のタイミングで、尊厳死や安楽死に肯定的な番組が増え、憲法から人権保護を提唱する憲法9条が消されようとしているのだろうか?

私はその答えは分からない。

しかし、歴史はある程度知っている。

学生時代、私はもっぱらの理系で、歴史を含めた文系科目は時間の無駄だとすら考えていた。

しかし、今となって、当時の歴史の教師が厳しかったことに感謝している。

どんなに、他の科目だけに集中したくても、歴史を無視させてはもらえなかった。

私は決して歴史に詳しくはない。

しかし、完全に無知でもないと自負している。

その私ですら、今の日本の流れと、第二次世界大戦前に若干なりとも類似性を見出し、きちんと立ち止まって考え、皆で話し合った方がいいと考えている。

ならば、歴史に詳しい人々は、どうなのだろう?

友人の中には、今のウクライナ戦争を第一次世界大戦や第二次世界大戦の始まり方と重ねる者もいる。

やっぱり、皆んな思ってるんだ!

そして、第二次世界大戦や終戦後の日本を実際に生き抜いてきた人々の生の声はどうなのだろう?

ウクライナの戦争は、ウクライナとロシアだけの問題ではないともう。

そして、社会の方向性というのは、一度立ち止まって考え、議論して本当にこのままでいいのかを皆がある程度納得して進んだ方がいいのではないだろうか?

社会が変化している今こそ、自分の価値観も、社会の価値観も立ち止まって考えた方がいいのではないだろうか?

年老いた知らない誰かだけの問題ではなく、自分が病気や怪我をした場合、自分はどうして欲しいと思いますか?

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。