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MINOです。(みのです。)

MINO に名前を変更します。
noteを読んでくださる方には全く関係のない、私個人の事情での名前の変更ですが、わざわざたいそうなことに、ひとつの記事にしました。恐れ入りますがよろしくお願いします。

まわりに人がいたのに、たまたまネット記事で知った岸田奈美さんのnote"最愛の母に「死んでもいいよ」と言った日|岸田奈美|NamiKishida (kishidanami.com)"を読んで涙が止まらなくなって。3年前、そうやって初めてnoteというものを知りました。
「みんころがし」のnoteはそんな岸田奈美さんに”スキ”がしたくて開設しました。岸田奈美さんはどんなに大変なことでも、おもしろくたのしく、こちらの心があたたかくなるように書いてくださる方です。そんな岸田さんに憧れて、わたしは無い頭でちょっとひねった名前「みんころがし」にしてみました。

最初はつれづれなるままに書き連ねて、だんだん教育に関心がでてきたからそういう記事も書いていて、当時一番読んでいただいたnoteが、「ただのしがない会社員が教育の素晴らしさに気付いてしまった」という記事でした。教育について熱くがんばっているひと、もう苦しいひと、いったん逃げて自分の方法で教育をしたい人、いろんなひとがいるんだなってnoteで教えてもらいました。

でも実は私は教育をする勇気がどうしても出なくて。
ボランティアで寺子屋教室のせんせいみたいなことはしてるけど、教員免許を取って教育現場に出る勇気がどうしてもどうしてもどうしても出ませんでした。何度か小学校教員資格認定試験は勉強してみましたがコミットすることなく諦めました…。(おかげで文部科学省も学校現場も、未来のわたしたちを創る教育について真剣に考えておられること、教育は奥が深いこと、教育に関わる方の努力などを知れたのはよかったです。)

亡くなった弟は言ってくれていました、「やりたかったらしたらいいやん」って。でも、それでも出来なかった。
なんかひっかかって…。

誰かを教育する以前に、教育とは何か、教育の理想とかを語る以前に、私はわたしのことが世話できていませんでした。ずっと、多分、自己流でわたしという人生というか、わたしという体を存命させるための色々をやってきたけど、おそらくやっぱなんかだめなんだろうなって…。だいぶん前からうすうす気づいていたけど、弟が亡くなり「弟が死んでまでして私に気付かせたかったのかな。ごめん。」と思うこともあって、彼の命に代えてまで私は気づけなかったのかとおもうと申し訳なく…。私は弟を絶対に幸せにしたかったし救いたかったから。でもいつも逆で、私を守ってくれたのは弟のほうだったし、本当はけっこうひどい姉だった…。

実は最近、急激に自分の内面が変わり始めて、みんころがしじゃない気がしてきていました。
夫も、「うん、もうみんころがしじゃないね」って言ってました。優しい。
でも少し、可愛くて愛着もあって…。
多分、わたしのなかの”子どもでいたいわたし”、”大人の女性を受け入れられないわたし”が「みんころがし」でした。

誰に読まれるnoteでも無いからいっかって思ってたけど…。
偶然にも知り合ったカウンセラーの方が、それはそれは幸せそうにお仕事されている姿にあこがれて、わがままだけど、どうしても座学じゃなく生身で学びたいという希望を叶えていただけそうな「根本裕幸カウンセラーのお弟子制度」の門戸をたたきました。
じぶんがここにいることを発信しなさいということで、まず、知ってもらいなさいということで、SNSを始めましょうというレッスンがありました。それでわたしは安易にお弟子以前から使っていた「みんころがし」noteを引継ぎました。実は、ブログとかSNSに疎いので…こ、これならできそうと思って…。

カウンセラーか癒し人か、それに準ずるひとになって、仕事じゃなくてもただの近所のおばちゃんでもいいから、誰かを笑顔にできるひとにいつか必ずなりたい、と願うようになればなるほど、「みんころがし」のままだと偽りの自分を発信している気がしました。
本当に特に誰に読まれるわけでもないnoteです。こんなことを書かなくても誰も気づかないほどに、読まれていたり覚えられていたりはしません…。

でも、なんとなく無責任なことをしてはいけないなという気持ちになりました。


特に誰に読まれるnoteでも無いから…。と半分思いつつも、どこかで私はこう思っていました。
誰かがこのnoteを読んで、「まあ、このひとが幸せに暮らしてるなら、わたしもちょっと幸せになってみようかな。」って思ってもらえるような人に、まずはじぶんがなって、それから他の人を癒しにいきたいな、と。
でも、”そんなじぶんにまだなれてなくてもいいから”と自己受容してからは、「このひともまだまだっぽいけど、どうなるのかな」とすこしでも誰かの元気や勇気になってほしいな、と。
そう願って書いていました。

じゃあ、それなりの覚悟と責任をもって発信しよう、と心に決めました。

だから「みんころがし」はこの辺で卒業し、いちど脱皮します。
蝶になったとはまだ全然、全然、言えないけど。とりあえず。

本名で活動する勇気はまだなく、でもいつかその勇気が出たら本名にしたいと思っています。
私個人の私的な事情にお付き合いいただき恐縮ですが、それまでは”MINO”という名前でがんばりますのでどうぞでよろしくお願いします。


MINO

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