人見知りの種類
いよいよ、新学期が始まった。
私の体内には、臓器に冷却シートを直貼りしたようなヒヤヒヤ感が漂っている。
この季節になると、人間関係の構築能力をテストされているようで、改めて自分の人見知りを実感させられる。
しかし、私はこの時期の人間関係が嫌いではない。
多分、人見知りと言っても、人それぞれ、色々な種類があるのだろう。
今回は、私の人見知りの種類について書いてみる。
私の人見知りの特徴は、以下の2つだ。
①初対面の人より、関係値のある人と関わる方が苦手
②3人以上が苦手
まず、①について。
私は初対面の人との関わりはオフェンス型の人間関係であり、関係値のある人との関わりはディフェンス型の人間関係であると捉えている。
初対面の人と関わる際は、お互いの情報もなければ、構築された関係値もない。
そのため、相手はゼロから私の像を作っていくことになる。
そして、私は相手に情報を与え、私の像を作るための材料を提供していく。
つまり、これは相手の中に様々な材料を運び込む作業であり、オフェンス型だ。
この作業においては、まだ互いの失うものがないため、自己表現の自由度が高い。
「いやいや、初対面だと、気を遣わないといけないから制限多いだろ」
「関係値のある人との方が、お互いを理解した状態で自己表現できるから、より自由度高いだろ」
って思う人も多いはずだ。
しかし、お互いの像が完成に近づくにつれ、自己表現には制限が生じる。
それぞれが作り上げた輪郭の中に収まらなければならなくなるのだ。
私の感覚では、関係値のある人間関係における自由とは、無制限に何を提供してもいい自由ではなく、その人と構築した制限の中での提供の自由である。
そして、その制限の種類や度合いが自分に合う、ということが自由感に繋がっているのだ。
どの種類の材料を、どのくらいの重量持ち込んでいいか。
すなわち自分が持つスタンスのうち、どのスタンスなら許容され、それをどのくらい解放していいのかということだ。
よって、関係値のある人との関わりは、制限を守る作業であり、デフェンス型だ。
私はどちらかと言えば、初対面時の無制限に何を提供してもいいという状況でのオフェンス型の自己表現の方が得意だ。
承認欲求が強いからだろうか。
バイトの面接とかめちゃくちゃ好き。
ずーっと自分のこと喋ってていいし、自分が提供した材料を、相手の脳内ではどう組み立てられているのかを想像するのが、なんか楽しい。
でも材料を提供するだけ提供しておいて、ある程度の私の像が完成したと見ると「いや、そうじゃないんだよなぁ」と違和感が込み上げて来てしまう。
おそらく、私はお互いの像を構築していく過程で、自分に有利な制限を作っていく能力や、他人の作った制限に適合する能力が低いのだろう。
まぁ、だからこそ、制限の種類や度合いが合う人たちのことは、人一倍大切にしているつもりだ。
次に、②について。
私は3人以上でのコミュニケーションが苦手だ。
例えば、私と、A君と、B君の3人で話をしているとする。
私は、この状況において、
「私とA」
「私とB」
「AとB」
「私とAとB」
という4つの人間関係が交わっていると捉えている。
まず、私は「私とA」の関係性をBに見られるのが苦手であり、また、「私とB」の関係性をAに見られるのが苦手だ。
これは、私が1人1人に対して、ちょっとずつ違うキャラを設定してしまうからであり、自分のキャラを統一すれば解決することなのだろう。
でも、それは結構難しい。
次に、私がいない空間でも成立している、「AとB」という関係性を意識しすぎてしまう。
私の言動が「AとB」の間で秘密裏に構築された制限を破ってしまっているのではないかと。
そして最後に、「私とAとB」という3人の間に生まれる新たな制限が苦手だ。
2人きりなら、1対1だから気に食わない制限に対して物申すことが出来る。
しかし、3人以上になると、制限は多数の同意によって形成される。
もし自分に合わない制限があり、それに「嫌」を突きつけた場合、私は異端者だと判断され、爪弾きにされる。
私は「嫌」と感じることが人より多いため、我慢するか、自分から出ていくかの2択になる。
今回は3人での関係性を想定したが、ここから人数が増えれば増えるほど、様々な関係が交錯して、さらにやっかいになる。
ここまでの話をまとめると、私は初対面との2人きりが得意で、関係値のある3人以上との関わりが苦手な人見知りというわけだ。
ということで、以上が私の人見知りの種類である。
みなさんは、どんな種類の人見知りですか?
って、人見知りじゃない人もいますよね、すみません。
それでは、今日はこの辺で。
ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?