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歴史あれこれ

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歴史(おもに日本史)について、思うところを綴りたいと思います。
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記事一覧

太陽と光と 〜光を意識して〜

太陽と光と 〜光を意識して〜

九條です。

私は大学生時代、一般教養課程の諸科目のうちのひとつに哲学(古代ギリシア哲学)の講義をとっていました。

そのことが遠い縁となって、就職してから十数年経ってから古代ギリシア時代の文化財(文献など)の復元にボランティアとして関わることができました。

縁というのは、どこでどう繋がってくれるか分からないものですね。不思議なもの、ありがたいものですね。

さて、上記の一般教養課程の哲学のある

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世界最古の歌(セイキロスの歌♪)

世界最古の歌(セイキロスの歌♪)

九條です。

皆さま。世界最古の歌とは、どのような歌かご存知でしょうか?

それは、今からおおよそ2200年〜1900年前(紀元前2世紀〜西暦100年代の頃)に造られた古代ギリシア時代の墓碑に刻まれている歌です(以下約1,600文字)。

それは日本の歴史でいえば、ちょうど弥生時代にあたりますね。

さて、その墓碑は「セイキロス」という名前の男性のお墓の碑で、そこには妻のエウテルペさんへ宛てて贈っ

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【日本書紀 講読】飛鳥の宮 〜宮と都市文化の黎明〜

【日本書紀 講読】飛鳥の宮 〜宮と都市文化の黎明〜

九條です。

飛鳥は私の心の故郷。私が高校生の時に古代史を好きになった出発点でもあります。

私は小学生の頃から考古学には興味を持っていたのですが、その後の私の進む道(すなわち古代史)を決定づけたのは、飛鳥という時代との出逢いでした。

飛鳥時代の文化の中心となった飛鳥地域は、私が大学生の時(ですから、いまから35年ほど前)から何度も歩いていて(巡検もして)、とても想い出深い場所です。飛鳥は日本の

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【古代史】白鳳の皇女(ひめみこ) 〜千四百年の愛〜

【古代史】白鳳の皇女(ひめみこ) 〜千四百年の愛〜

九條です。

いまから1400年ほど前。皇極天皇四年/孝徳天皇元年(645年)。

それは飛鳥板蓋宮において、我が国古代最大のクーデターである「乙巳の変」(すなわち大化改新の契機となった事件)が起こった年のことです。大和国にひとりの女の子(皇女)が生まれました。

その子の父は中大兄皇子すなわち天智天皇。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智郎女。

その皇女は「鸕野讚良」と名付けられました。のちの持統

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【知識・教養】
漢文の読み下しや現代語訳に正答はなくて、1人1人少しずつ異なってきます。

そこには、その人の知識量や教養の有無などが如実に反映されるので、私は読み下しや現代語訳をする時にはいつも非常に緊張します。

外国語を翻訳する事よりも難しい(怖い)と思ったりします。^^;

【ちょっとだけ哲学】私の仏教・私なりの唯識思想

【ちょっとだけ哲学】私の仏教・私なりの唯識思想

九條です。

ゆっくりと考える時間がある大型連休なので(しかも今日は雨ですし)、ものの見方や考え方について、簡単にちょっとだけ哲学的なお話しを(約1,600文字)。^_^

私は古代仏教である奈良時代の仏教(南都六宗)のうちの法相宗の信者なのですが、この法相宗の教えは以下にお話しする「唯識」という哲学的な思想から成り立っています。

さて、

という古い歌があります。一説には興福寺(法相宗 大本山

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聖徳太子の仏教

聖徳太子の仏教

九條です。

我が国に仏教が伝わった(仏教公伝とされる)のは、欽明天皇戊午年[1](西暦538年)または欽明天皇十三年[2](西暦552年)とされています。

厩戸皇子(聖徳太子)が摂政に立ったのは、推古天皇元年[3](西暦593年)とされていますから、仏教公伝から厩戸皇子(聖徳太子)の立太子までの間は(仏教公伝を西暦538年と考えると)55年間となります。

この55年間に日本に伝来した仏教の中

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四天王寺と法隆寺との位置関係

四天王寺と法隆寺との位置関係

九條です。

先日(2023年7月19日)に放送されたNHKの『歴史探偵』の「聖徳太子 愛されるヒミツ」を録画していたものを先ほどまで観ていました。

7月は何せ忙しかったので観る余裕が無くて、しかし飛鳥文化は私の卒論のテーマでもありましたので録画予約はしておいたわけです。^_^

それで、先ほど観ていて思ったのですが…。

やはり飛鳥時代の交易を考える際には、龍田越のルートは無視できませんね。

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【日本仏教史】人は救われるのか、救われないのか?

【日本仏教史】人は救われるのか、救われないのか?

1.はじめに
仏の教え(仏教)というと、慈悲深い教えであり、全ての人は仏の慈悲によって救われる…と思われがちですが、実はそうでもありません。

ここでは日本の仏教(仏教史)の中において「全ての人は救われる」とする教えと「いや、そうではない」とする教えのそれぞれの代表的な教えを簡単に述べ、その後に「いや、そうではない」という教えの考え方について、なぜそのように考えるのかを簡単に述べます(以下約2,9

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【考察】上町台地の歴史的環境 〜古代社会を中心として〜

【考察】上町台地の歴史的環境 〜古代社会を中心として〜

九條です。

昨年(2022年)12月。年末の休み期間中に友人と上町台地の史跡めぐりをしました。

そこで、これまで私がなんとなく頭の中で考えてきた上町台地の歴史的環境について、古代を中心に簡単にまとめてみたいと思います。

なお、これは論文でも研究ノートでもレポートでもなく、単に私がここ数年来、頭の中でぼんやりと考えてきたことをなんとなく文章にしただけのものです。ご了承ください。

長文(本文約

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平城京の都市景観(1300年前の高さ制限)

平城京の都市景観(1300年前の高さ制限)

九條です。

平城京の都市景観について、ほんのちょっとだけ(チラッと)ごく簡単に見てみたいと思います。^_^

『養老令』の規定

『養老令』(西暦757年施行とされています)の中に収められている『営繕令』の「私第宅条」には、

とあります。これを読むと平城京は、整然と区画された京域内に目立つような背の高い建物はなく(寺院などは除く)ほぼ高さをそろえた街並みが広がっていたと思われます。空が広くて、

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吉野ヶ里石棺墓についての一考察

吉野ヶ里石棺墓についての一考察

九條です。

このたび吉野ヶ里遺跡で見つかった石棺墓。その墓壙内から弥生土器片が見つかったということですね。その詳しい編年が待たれるところだと思います。

さて、この石棺墓の年代は(おそらく同一時代面から出土した土器群だけではなく考古学的層位学=この遺跡地の基本層序や遺構の覆土などからの推定も伴っていると思われますが)、邪馬台国とほぼ同時期だと言うことですね。

邪馬台国がどこにあったのか、そもそ

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学問と年齢と夢と

学問と年齢と夢と

九條です。

私が大学3回生の時(ですから当時の私は20代前半)、たびたびお邪魔(聴講)していた同じ京都市内の私立大学の文学部にひとつ上(4回生)の女性の先輩がおられました。その先輩は当時61歳でした。

と、私に話ってくださった事がありました。

その方は一所懸命勉強をされて、そういう必死の努力をされて文学士(歴史学)の学位と博物館学芸員の国家資格を取得して卒業されました。

卒業してからは地元

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【文化の日に思う】「文化」が流行した時代  ~大正時代の頃のことなど~

【文化の日に思う】「文化」が流行した時代 ~大正時代の頃のことなど~

九條です。

今日は2023年11月3日「文化の日」ですね。そこで「文化」という言葉について、その言葉の歴史や周辺のことなどを歴史学的にちょっとだけ考えてみたいと思います。

最後に研究者(学者)の端くれとして、ちょっと厳しい意見も申し上げます。その点はお許しください(本文約3,200文字)。なお、おもな文献の出典などは末尾の註にまとめて記しました。

1. はじめに(文化の定義)
「文化」という

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