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【コラム】#14 愛か欲か、表に出せない自分の本心は…?

​こんにちは、リサ@サブミッシブです。


先日、古い映画を2本続けて鑑賞。

ひとつは1967年のフランス映画『昼顔』(Belle de Jour)。日本でも何年か前に同タイトルのドラマがヒットし映画化され、それをご存じの方であれば、このフランス版のストーリーをの予測は簡単でしょう。

このフランス本家版を、いつどこで見知ったのかは覚えていないのだけど、きっと小さい頃に映画好きの親戚の影響を受けたのだと。別に当時のワタシにとって刺激が強すぎたわけではなく、覚えていたのは、その世界に何となく魅かれた理由があったもの、と思われます。

夜行性だったワタシは、親の目を盗んで?はグロテスクなものもエロティックなものも淡々と見ていました。多くの親と同様、ワタシの両親も周りに流され見せたくなかった、とは予想するものの、「早く寝ろ!」と言って「それを見るな」と直接的禁止表現をしなかったのが、今になって不思議に思うところ…。まぁ、そんな話はどうでも良く、他に不思議だと記憶に残っているのは、人の口の動きと発する言葉が一致していなかったこと。吹き替えだから勿論のこと、しかし田舎育ちの当時の小さいワタシは、世のすべての人が日本語を話すものだと思っていたし、そんなところへの関心・興味の持ち主であれば、小学校でオモシロイ!と興奮して何かを話をしたところで、なかなか周りと話が合うことはない…のは今になって納得。

話を映画に戻して…、

エレガントなファッションに身を包む医者の人妻が、荒々しくサディスティックな世界を夢想する…。夫を愛しながらも満たされない欲望を抱えるその姿。それは21世にになった後も、多くの人の心に響いていたようで、50年も経ってリバイバルされた日本版の映画にも、「美しさ」や「欲望の共鳴」といった様々な要素を含んでいることは疑いの余地もありません。そこのテーマには、一部の人が言うような汚らわしいものではなく、人間の生命力に根底で結びついたもの、そのものだから、とワタシは思っています。

人間が生と性を謳歌する方法はさまざま。情報が手に入りやすく、選択肢も多くなったこの現代にも関わらず、自分の奥底にある欲望を抑えつけ、それが無視することが良い、そんな今までの常識に沿って考えてしまっていないでしょうか…?日本の文化と全く異なる欧州での生活が長くなったからこそ、日本のある種の常識観が特に目についたりするのですが、しかしそれは、かえって欲望を増幅させるものであったり、或いはもともと核の無い形骸化した欲望だったのかも…そんな風に思えたり。

日本版『昼顔』の映画はどこかのフライト中に鑑賞しました。品の良い?デザートのようで正直、ワタシの好みではなく、いまいち響かなかったのですが、唯一、主人公が脱がずとも、肌の露出よりもエロい映画的「フェティシズム」が随所にちらばっており、それがワタシの目についたのが非常に印象に残っています。

人間の本心は、一番表層の本心に到達しない限り、次の本心に到達することはできません。自分の奥底に抱える欲求も同じ。それを知らず見ずして棺の中に持って行くのも方法の一つ。あるいは、心許せる愛する相手に開示し、上手く行けば次の未知の扉を探すのも良し。それが出来なければ、愛する相手と別の相手と共に本心・欲望の呼び鈴にアプローチするのも、然るべきステップを踏めば罪でも害でもなんでもないこととワタシは思います。

とはいえ、そもそも表に出せない隠した自分の本心をどう扱うか?そんな燻った想いを抱いている方、いらっしゃるのではないでしょうか?

とりあえず、匿名の質問箱に一筆書いてみますか…?
下のリンクからどうぞ。

何かが変わる、かもしれませんよ。


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by リサ@サブミッシブ



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