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一年の重み

4月15日に右肘の手術をした。

症状としては、関節部分の骨が変形してしまって、腕を地面に対して水平に伸ばした状態から肩に向かって90度ぐらいしか曲げられない。真っ直ぐにも伸びない。真っ直ぐな状態を180度だとしたら、150度ぐらいまでしか伸ばせない。つまり可動域が極端に狭くなってしまっているという状態である。可動域が90~150度、無理にそれ以上動かせようとすると、鋭い疼痛がはしる。通常は30〜180度ぐらいだろうか。

原因としては摩耗と加齢。つまり激しく使いすぎ。右肘は約20年前にストレートアームロック(腕ひしぎ十字固)をかけられて一度骨折しているので、その影響もあると思われる。当時はメンテナンスに対しての意識が低く、病院選びも慎重にやらず、単に近いというだけで近所の整形外科に通い、リハビリなどもろくにやらずに早々とスパーリングを再開した。

そうして20年、右腕はカメラを持ってシャッターを押す利き腕でもあるし、柔術に撮影にと使い続けて可動域はどんどん狭くなってきた。

一度2014年に可動域の狭さに違和感を覚え、レントゲンとCTを撮ったことがある。その時点で、かなりの骨の変形と骨片が確認できたが、骨片の数が多すぎるので全部は取りきれない、手術しても完治はしないよと言われた。例えるなら、70%の状態が80%になるようなものだと。日常生活にはまだそれほど影響が出ていないようだから、直ちに手術しなければならないということはない、もうちょっと様子を見るという手もある、どうする?と問われ、私は手術をしない決断をした。ただしブラジリアン柔術はやめるようにと釘を刺された。確かにあの頃は不具合といえばネクタイを結べないぐらいで、そんなに生活に支障はなかった。

あれから8年。よくもったとも言える。

危ないポジションには右腕を残さないなど、騙し騙しやってきた。しかしついにその日がやってきた。昨年の12月15日、ブラジリアン柔術のクラス内でラップトアームロックという技の受け手をやったことがトリガーとなった。その晩から激しく痛み出した。スパーリングなどで無理やり腕を伸ばされたわけではなく、技を見せるという、ある種、力を抜いて行う約束事のなかで痛めた。普通はあり得ないことである。もともとある骨片が移動して良くない位置にはまったか、神経に当たる位置にきたか、あるいはその両方。ますます可動域が狭まり、日常生活にも支障をきたし出した。箸で食べ物を口に運ぶ、バリカンで髪を刈る、綿棒で耳を掃除するなど、顔、頭付近に指先をもっていくことができなくなってしまった。

それでもこの数年間は、運動の前後、あるいは暖かい湯船で、伸ばしたり曲げたりのストレッチを繰り返し、調子が悪くなっても、完治することはないがある程度自分で戻してきた。山伏修行をしていた影響もあると思われる。ある先輩山伏に、山伏は自分で自分の怪我は治すものと教えられ、それがいたく印象に残っていたので、なるだけそれを実践してきた。しかし、今回は1ヶ月経っても2ヶ月経っても痛みは引かず、可動域は戻らなかった。それでも病院に行こうとは思わなかった。2月の終わりに第16回全日本柔術マスター選手権があったためである。それには出たい。やれることに制限はあるが、戦えないことはない。全日本マスターは一年に一度しかない。この歳になると、一年の重みは若い頃のそれの比ではない。右肘だけでなく膝も悪い。次があるとは限らない。事実、直前の練習で膝を悪化させて泣く泣く欠場した年もある。どうせ万全の状態で出れることなどこの先もないのだから、出れる時に出ておかないといつ競技ストップとなるか分からない。結果はポイント0対0、アドバンテージ1対2のアドバンテージ1差で山田泰範さんに敗れ、今年の全日本マスターは終わった。

で、数年ぶりに病院に行ってみるかとなった。

レントゲン、CT、MRIを撮った。予想できたことだが、骨は相当変形していた。まあ当たり前だ、柔術を続けてきたわけだから。

病名的には、変形性肘関節症となる。

今回はもう即手術となった、私もそれを希望した。

手術の内容としては、肘関節内の骨の変形部分や余剰骨(骨棘)を除去し、遊離体いわゆる‘ねずみ’といわれる骨片を摘出するというもの。

4月14日入院、15日手術、16日退院という流れ。

初めて体験することがいくつかあった。

手術前夜に脇毛を剃る。夜の9時から朝の9時までに経口補水液のOS-1(500cc)を3本飲む。案外これがきつい。夕食が18時で、翌日の手術開始時間が17時〜17時30分なので、24時間以上の絶食。

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16時過ぎに病室を出て、手術室に入り、看護師さんに色々と説明を聞いたり、計器類を付けてもらったりすること数十分。いよいよ始まる。

左手の甲に刺さった点滴の針から麻酔薬が投入される。「電気がはしったようなビリビリとした痛みが生じますが、そういうものですから気にしないでください」と、事前に看護師さんに言われていたが、いざ開始されると想像していたよりも痛かった。マジかよと思っていると、「はい、大きく5回ほど深呼吸してください」と言われ、了解しました、やりますとやっていると、3回目か4回目の深呼吸ですとんと落ちた。後はまったく覚えていない。気がついたら自分の病室だった。怖っと思った。まったく自分の意に介さないところですべてが行われ終わっていた。分かっていたことではあるけれども。ひとは簡単に死ぬ(殺される)なと思った。自分の預かり知らぬところで。全身麻酔で意識がなくなる感じは、絞められて落ちていく感じに似ていた。

全身麻酔に加えて、患部である右腕にはブロック注射(局所麻酔薬)も打ってあるので、16時間は感覚がありませんよと事前に伝えられていた。感覚はないのだけれども、おそらく右腕はここにあるだろうなという感じはあった。手術後、数時間してようやく点滴がとれて起き上がってよくなった時、予想していたのと全く違うところに自分の右腕が転がっていて驚いた。立ち上がろうとした時、ぶらーんと、肩から下の物体が付いてきてまた驚いた。ほんまなんも感覚ないやん。どう例えればいいのだろう?先端に重しがついたチェーンのような無機質なものが肩から下にぶら下がっている感じ??でも表面は柔らかいもの、みたいな。派手に立ったり座ったりすると、重しである拳が左右にぶーんと揺れて危ない。加減が分からない。ぶらんぶらん揺れただらんとした腕があっちこっちに当たりそうで怖い。それでもって、仮にぶつけたとしても痛みをまるで感じないのだから尚始末に悪い。気付かぬうちに怪我してそうだ。

こうして行われた手術。全身麻酔など、初めての体験も多く、感じるところも多かった。随分生きてきたように思うが、まだまだ知らないことはある。全てが学び、との思いを新にした。ちなみに一枚目の写真が除去した骨で、手術時間は1時間程度だったとのこと。

そして、手術後11日目の4月26日に抜糸。今後はリハビリが始まる。完治はないのかもしれないが、できるだけ可動域を広げて、また柔術に写真にと向き合いたい。

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おそらく数年経つと忘れてしまうので、備忘録としてここに記す。



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