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イタリアの病院で過ごした大晦日


元気な状態で過ごした 
イタリアでの大晦日も 多々ありますが
今回は特別に😉
レアな 入院生活中に迎えた大晦日のお話。


ちなみに この入院生活とその後の、
痛くて 辛くて 大変だったリハビリは
語れと言われれば
お話ししたいエピソードが
たくさんあり過ぎるくらい あるのですが


気が向いたら、いつか書きますね♪


なぜ入院していたかという理由。
それは
ある年の もう寒かった10月の夜、
大きいバイクで住宅街を 
低速で走っていたルカと私が
交差路に差し掛かったとき


一時停止線を無視して直進してきた
若いイスラエル人観光客が運転するレンタカーに
まともに跳ねられた 
…という交通事故。


ルカは幸運にも 片足の複雑骨折だけで
意識もずっと はっきりとあったので
運び込まれた夜に手術を受けたあと
その病院にしばらく入院していたけど


年末のこの頃には
骨がくっついてリハビリが可能になるまでの
自宅待機みたいな感じで
いちど退院させられていて、


一見、「サイボーグか何かですか?💧」と
思わず二度見するような、
足の肌に直接 金属製の
添え木みたいな固定器が挿さっている脚を
2本のStampelleスタンペッレ (松葉杖)で
重そうに運びながら


昼か夜の面会時間に必ず
友達の車か タクシーに乗って
毎日会いに来てくれていた。
(私が毎日来てとお願いしたわけではないのだけど)


事故のとき
タンデムシートで コアラの親子よろしく
ルカの背中にくっついていた私は
乗用車に横から追突された瞬間、
二人一緒に 撥ね飛ばされた衝撃で
15メートルほど宙を飛んだあと


仰向けで落ちたルカとは逆に
不運な偶然で
うつ伏せで地面に叩きつけられたので、


脚の他にも 肋骨を複数本骨折していて
一週間近く 
集中治療室で処置を受けたあと


事故当夜を含め 何回かの外科手術を受け
年明けまでずっと 入院生活が続いていた。


病院は フィレンツェの中心地からすこし離れた
Careggiカレッジという場所にあって
当時私が入っていた病室は 
建物の6階にあり、
ひとつの壁の上半分がぜんぶ 大きなガラス窓になっていたから
カーテンを開けるといつも 開放的な景色が望めた。


他にも 二人の初老の女性が
やはり骨折で入院していて
二人とも 陽気で感じの良い人たちだったので
お互いに お喋りをしたり
面会時間に身内を紹介し合ったりして 
楽しく 和気あいあいと過ごしていた。


イタリアでは
Natale ナターレ(クリスマス)は家族と静かに過ごす日だけど
大晦日は 友達や恋人と一緒に過ごす習慣になっている。


その日 昼間の面会時間に来たルカは


「今夜、君と新年を迎えに戻って来るから
夜になっても眠らないで、起きて待っていてくれ」
と私に言った。


私は
「この病棟は、面会時間が終わった後は
廊下の入口ドアに鍵をかけて
看護師以外、出入りは出来ないよ?」と教えたけど


「わかってる。でも来ると決めたんだ。
なんとか手を見つけるから心配するな」
そう言って、
自信あり気に笑顔を見せた。


その日の夜
同室のご婦人たちのご家族も一緒に
にぎやかに 今年最後の面会時間を終えると
いつも通り
病室の照明が落とされて 真っ暗になった。


各ベッド脇に小さなランプがあるから
必要な時は それを点けることも出来たけど、
とりあえずは真っ暗にしたまま 
いつもの 静かな病院の夜が始まった。


ときどき誰かが 何かを話し出して
暗い中でも おしゃべりが続く時もあるけど、
早々と みんなが寝静まる時もある。


けれど 今夜は大晦日。


フィレンツェでは 深夜0時に
Buon Annoブォンナンノ! (良い年を!=あけましておめでとう)
の花火が 一斉に打ち上がるので、


彼女たちも 
「花火、この窓から見えるかしら?」と期待して
「深夜まで眠らないでおくわ。
もし私が寝ていたら、ぜったいに起こしてね!」
とお互いに言い合って、
とりあえずは静かに その時を待っていた。


深夜23時をだいぶ過ぎたころ
小さく コンコン⭐︎ とドアがノックされ
ルカが遠慮がちに
Permessoペルメッソ」(失礼します)と言って
部屋に入って来た。


私が先に話してあったので
二人のご婦人は


Eccoloエッコロ!」 (ホラ、お出ましよ!)
Che bravoケ ブラーヴォ!」 (偉いわねぇ) と 
深夜の訪問者であるルカを とくに迷惑がりもせず
歓迎してくれた。


こんな時間の (&時間外の^^;) 訪問の非礼を
二人のご婦人方にびながら


「どうやって入って来れたの?」との質問に
「今夜の夜勤の看護師に話をつけました」
と答えていた。


「花火を見たいから、カーテンを全部開けて頂戴ちょうだい!」
窓の脇のベッドのご婦人の その言葉をきいて
ルカが松葉杖で少しずつ移動しながら、
すべてのカーテンを 大きくひらくと
暗く広がる濃紺の空間の 上空と 底のほうに
遠く 近く 小さな光や 灯の数々がまたたいて見えた。


「こんなパノラマが見えたなんて、知らなかったわね」と
身を乗り出して夜景を眺めながら
二人のご婦人はまた お喋りを始め


ルカは
窓を背にして こちらに戻って来ると


普段はそんなことはしないのだけど
この時は 
よいしょ と私のベッドに半身を乗り上げて
隣に並んで座ると 
私の背中に腕を回して
上半身を支えてくれた。


天井も高く、ゆったりとした広さのある病室だけど
空調はよく効いていて 
寒さなど感じたこともなく 室温はとても快適だった。


でも やっぱり
人の腕の温かみから得られる安心感は
心に直接作用するぶん
心身をまるごと温めてくれるものなんだな と思う。


やがて 時計の時間を誰かが確かめると、
この病室にいる全員で声をそろえ
10ディエチからカウントダウンをした。


トゥレドゥエウノ
Auguriアウグーリ!! (おめでとう)


みんな大きな声で まるで合唱するように
一緒に叫んだ。(← 夜中の病院です😅)


ルカと強く抱き合い、
同室のご婦人方とも もう一度元気に
同じ言葉を言い交わし合い、


窓の外では
かなり遠くて 
小さく可愛らしい大きさの見え方ではあったけど 
街のあちこちで ポン! ポポン! と連続して
花火が上がっているのが見えた。


「花火見えたね!」
というご婦人の嬉しそうな声に
私も 嬉しく華やいだ気持ちで花火を眺め、
同時に 
私を見つめるルカの 本当に嬉しそうな笑顔にも
肩に感じる温かさごと〈有難いな〉と感じながら


「どうか良い年になりますように」
と心で祈った。


まだ花火が勢いよく 次々と開き続けるなか、
突然 ドアが開いて
「Buon anno!」と言いながら
夜勤の看護師さんが二人 部屋に入って来た。


見ると 手にスプマンテの瓶を持っている。
(Spumante:イタリアのシャンパン)


開けるよ~ と言いながら
🍾 ポンッ! 
と勢いよく スプマンテの栓を抜くと


私たち全員に
プラスチックのコップにスプマンテをいで配り
自分たちもスプマンテを手にすると


Saluteサルーテ! (ここでは「乾杯!」の意味)
Feline Anno Nuovoフェリーチェ アンノ ヌォーヴォ! (幸せな新年を)
と口々に言い合い、
看護師さんたちは 一人一人のベッドに乾杯しに来てくれて
みんなで新年の祝杯をあげた。


聞けば この病室の
真ん中のベッドのご婦人の旦那様が
面会時間のときに 
わざわざ看護師たちの部屋まで来て


「今夜、新年になったら夜勤の皆さんでどうぞ」と
そのスプマンテをプレゼントしてくれたのだという。


奥様はそれを知らなかったらしく
看護師さんの話に驚いて、
でも
「私の夫もなかなかやるわね」と嬉しそうな声で言い
私たちもみんなで 
「なんてBravoな旦那様!」と口々に褒めた。


ひとしきり スプマンテで新年を祝うと
看護師さんたちは仕事に戻って行き、
ルカも 友達が車で迎えに来てくれたので
「また数時間後に」と言いながら帰って行った。


病室の私たちも
「いい大晦日だったわね~」などと言いつつ
眠る体勢に入る。


でも、眠る前に
日本人としては どうしても気になったので


大晦日の夜は イタリアの病院では
患者と看護師で乾杯するものなの?
と聞いてみたら、


違うわよ~ 聞いたこともないわよ。
看護師がスプマンテ抜いて患者と乾杯なんて!
と 二人とも可笑おかしそうに笑っていた。


翌日の面会時間には
スプマンテを夜勤の看護師さんたちにプレゼントした旦那様は
みんなからお礼を言われ、褒められて、
すごい人気者になってました(笑)。



華やかなパーティでも何でもない
入院中の ただ真っ暗な病室での
大晦日の思い出。


でも 私は今でも 
あの時の、
四人で声をそろえて
楽しく数えたカウントダウンと、
遠くに見えた 可愛らしい花火たち、
そして 思いがけないスプマンテの乾杯を
楽しい気持ちで憶い出す。



聴いてくださってどうもありがとう♡
みなさんも どうぞ良いお年を😊




交通事故の話に興味のある方は こちらをどうぞ↓




書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡