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くるくる電車旅〈国を離れて〉

5月5日のこどもの日、三河八橋の無量壽寺を訪ねた。
毎年5月には、カキツバタ祭りが開かれる。

三河八橋といえば、「伊勢物語」の東下りだ。
昔ある男が、東へ向かう旅の途中、カキツバタが咲いているのを見て、干飯を食べながらこんな歌を詠んだ場所。

からころも着つつなれにしつましあれば
はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

三河八橋へは、名鉄三河線で行く。
わたしは、姉と二人で、地下鉄の駅で電車を待っていた。金山駅で名鉄に乗り換えるつもりだった。

ホームの端のベンチに座っていると、若い女性の二人連れが近寄ってきた。
ひとりが、切符を見せてしきりに何か訴える。
わたしと姉は、顔を見合わせ、首をひねった。
ことばがわからない。
ひとりがスマホのアプリで地図を開いて、見せてくれた。福井県。
「福井へ行きたいの?」ときくと、二人はうなずいた。

 単語と身振り手振りを交えて会話して、わかってきたことは、
彼女たちは、ベトナムから来た技能実習生であること。福井市で働いていること。
ひとりが、「ほうせい」と、ミシンで縫う仕草をした。
連休で、名古屋に住む友人のところに遊びにきたらしい。
二人とも、大きなカバンを持っていた。

「まず名古屋駅に行かなきゃね」と、姉がいうと、ふたりは切符を握りしめて、キュッとくちびるをかみ、わたしたちをみつめる。
「わかった、名古屋駅までいっしょに行こう」
通じたかどうかわからないが、ふたりは、ホッとした表情でわたしたちについてきた。

連休中の名古屋駅は、ひどい混雑だった。
わたしたちは、人をかき分けるようにして、みどりの窓口を探した。
どこだ。みつからない。
『案内所』と書いてあるドアがあったので、そこにとびこんだ。
金髪の青年が対面で切符を買っていた。
ボランティアの札を下げた、白髪のおじさまも立っている。
おじさまに事情を話すと、ふたりに路線図を見せて説明を始めた。
もうだいじょうぶそうだ。
わたしたちは、二人に別れをつげた。
「ありがとう。あなたたち、やさしい、しんせつ」
若い二人は、かわるがわる感謝のハグをしてくれた。
どういたしまして。日本に働きにきてくれて、こちらこそありがとう。
わたしは、ちょっと感動して、ハグを返した。

名古屋駅の人混みにもまれ、かきわけ、名鉄の乗り場にたどり着き、わたしと姉は、どうにか名鉄電車に乗ることができた。

三河八橋駅は、人影もまばらだった。それでも、カキツバタ祭りの旗は立っている。

祭りの会場は、たくさんの人でにぎわっていた。
クルマで来る人が、多いのだろう。

浅い沼池があり、紫紺のカキツバタの花が、今が見頃に咲いている。沼池には、いくつも橋が渡してあり、橋の上から花をながめることができる。

伊勢物語のむかしは、大きな河が蜘蛛手に分かれ、八つの橋がかけられていたという。

伊勢物語の主人公、在原業平の銅像もあった。
業平さんの経歴を書いた銘版も掲げてあった。

平安時代の貴族で歌人。
父方の祖父は平城天皇。
母方の祖父は桓武天皇。
絶世の美男子。

政争に敗れたのか、大失恋でもしたのか。
伊勢物語には、みやこにいられなくなったので、東国に居場所を求めていく、なんて書いてある。三河八橋の大きな木の陰で、かきつばたの歌を詠んだときは、みやこにのこしてきた妻を思い、涙で干飯がふやけるほど泣いたという。

平安のむかし。
電車もバスもない。
飛行機なんて、夢のまた夢。
渡し舟に乗るのも命がけ。
脚だけがたよりで、道なき道も行かねばならない。
山中で、野生動物に食べられそうになったり、盗賊に襲われたり。
今夜ねる宿だって、あるかもしれないし、ないかもしれない。
貴族であろうと、天皇の孫であろうと、みやこを離れるということは、行ったきりになるかもしれないということなのだ。

帰りの電車の中では、ベトナムから来た二人の話になった。
「あの子たち、無事に乗れたかしらね」
高速バスか、特急しらさぎか。

今夜は、きっと、実習生なかまと宴会だろう。
遠く国を離れて、空を飛んで日本に来ている彼女たち。
若い彼女たちに、涙は似合わない。
集まれば、悲しい望郷の歌だって、母国語で陽気に歌うだろう。













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