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「メンタル強い」ってどういうこと?アスリートのメンタルトレーニングとメンタルヘルス、の話

アスリートとメンタルの話をしてみます。色々勉強して、メンタルトレーニングの個人契約をしたり、自分で本を読んだりして、そして「自分」という実験体を通して現段階での私が思っていること。そしてずっと考えていた、「メンタルが強い」と「メンタルヘルス」は別物なのではないか、ということについても。

ゾーンに入っている状態とは???

アスリートにとって、メンタルは物凄く大きなファクターであって、どれだけスキルがあって上手くても、その時のメンタルの状況で持っている力がどれだけ発揮されるかが決まってしまう。

前回のシーズン振り返りでのnoteでも書いたのだけれど、私にとっては意識と無意識の使い分けが出来た時、つまり、考える自分が、プレーをする自分を客観的に信用できた時にいわゆるゾーンに入る状態に近い状況が生まれる。頭の中で「自分はできると言い聞かせる」というよりも、腹の中で「自分はできると知っている」と感じている状態。心配することはなく、頭というフィルターを通すことなく、感覚でプレーできる。そのプレーする自分への信用が、私の場合は自主練習や、チーム練習での成功体験からくる。この状態でいれるときは、大きなプレッシャー下であっても、どれだけストレスがかかった状態でも関係なく力を発揮できる。それに気づいたここ数年は、「練習する理由」がより明確になった。これが必ずしも一般化できる正解とは思っていないけれど、今まで学んできたことや、本で読んできたこと、人から言われてきたことを今の最大限の私のキャパシティで、実体験を通して理解しているものがこれだ。むしろ一般化されていた知識を、私の方法で解釈して言語化したもの、かもしれない。

と、自分の経験を通してここまでの気づきに至るまでに実は何年もかかっている。そもそも、大学生前半くらいまでは、自分がこの「ゾーン」の状態になれる時となれない時の区別がついていなかった。私の父は、潜在意識のことを勉強していて、それを取り入れた英語習得法などについて本を書いたりもしているのだが、そんな父は私が中学生の頃から、この潜在意識の問題を指摘していて、瞑想などを勧めてくれた。だけど私は、父の話は聞くものの、「自分ごと」しての必要性が感じられなかった。それから高校生、大学生と、自分がどうしたら上手くなれるか、どうしたら大事な時に力を発揮できるかを考えて試行錯誤していく中で、自分がゾーンに入っている状態と、緊張やストレスで体が硬って何もできなくなる状態の違いが徐々に明確になってきて、さらにそこに積み上がってきた知識が合体され、初めて、自分がどういった時に調子がいいか、自分に何が必要だったかがわかってきたのだ。

知識や方法はそこにあった。ただそれを知ること自体が必ずしも役に立つことではない。自分ごととなって、自分の体に染みてきて初めて、役に立ってくる。それを身をもって感じた。スケート靴をオーブンに入れて自分の足の形に合わせるように、いくら知識の型があっても最後は自分に合っていないと習得したとは言えないのかもしれない。

それはつまり、人によって、ゾーンに入る状態の解釈の方法もそこへの持って行き方も違うということでもあった。小さい頃に、「あの子は全然緊張しないで、いつも試合でいいパフォーマンスをする」とか「あの子はいつも調子がいいのは何故だろう」と思っていたのは、そういうことだ。生まれ持つ感覚でその状態に入れてしまう人もいれば、物凄く時間をかけてやっとその感覚と理解が一致してその状態を作り出しやすくなる人もいる。それは必ずしも毎回同じように作り出せる状態でもなければ、みんなにとって同じプロセスで導き出せる状態でもない。そしてそこに大きく関係するファクターの一つが、メンタルヘルスだと思っている。

メンタルヘルスってなんじゃろな

メンタルトレーニングを指導してもらっていた時に、よくプラス思考という言葉や、思考だけでなくプラスな感情を持つ、ということを教えてもらっていた。本もたくさん読んで、頭では十分すぎるほど分かっていた。分かっているのに、プラスな感情や思考でいればいようとするほど、関係ない心配事が止まらなくなったり、マイナスな思考が溢れてきてしまうことが、実は多くあった。潜在意識に関する本を読んでいても、そう。ただそれを読んで、従って、ポジティブな思考や感情でいればいいはずなのに、何故か心配事やマイナスな考えが溢れてくる。

実はその、何か心配になると、それが何度も何度も繰り返し頭から離れなくなるのは昔からで、一番初めに感じたのは小学3年生の時だった。それからも心配になってそれに四六時中、心を持っていかれる時期を何度か迎えながら、「自分は他の人よりも少し心配性」なのだと思って中学生、高校生、大学生になった。そして大学卒業あたりのタイミングで専門家と話すタイミングがあったことで、それがGADという、不安障害の一種によるものだとわかった。振り返ってみたら、決してただの心配性で済まされないような不安が続く時期や、あれがパニックだったのか、と思うこともあった。同時に、自分の今までの「超強い心配性」が一般化的な概念でカテゴライズされたことにも安心した。自分がおかしくて、自分でなんとかしなければいけないことではなくて、そういうものが世の中にあって、自分一人ではないことにホッとした。GADの原因は解明されておらず、神経質の性格や遺伝的要因、直面しているストレス状態や自律神経の障害などが原因のひとつとも言われている。

改めてそのタイミングで、私はアスリートにおける「メンタルが強い」と、心の健康という意味でのメンタルヘルスについて考えるようになった。私はよく、「メンタル強いね」と言われるし、自分でも、苦境の中で粘る力や、逆境を乗り越えるメンタルという意味では、物凄く強い方だと思っている。一方で、私はその不安になりやすい状態や、自分の心の特徴も持っている。そしてこれらは決して、一直線上にないと感じる。両方わたしで、時に影響を与え合いながらも、その二軸が並行して並んでいるイメージだ。

パフォーマンスを上げるメンタルトレーニングにおいて、自分の心の特徴が故に、簡単そうに思われる「プラスに考えること」や「常にプラスの感情でいること」が難しくなってしまうことがある。けれどそれは中々理解されない。逆に、「不安になる」と相談すると、メンタルトレーニングを進められることもあったが、そこでは解決できない不安がある。

自分自身でも自分のメンタルの状況を把握して認識するのは中々難しいことだな、と改めて思う。心の状態は自分のものしかわからなくて、一般論がそこにあっても、それを感じることはできない。だけど、「当たり前」の法則がフィットしないアスリートもきっと他にもいるのではないか、と思う。そして、もし仮に、スポーツでの環境やプレッシャーが原因だったり、スポーツ以外での原因でメンタルヘルスに支障がある時でも、「メンタルが弱い」のだと自分を責めて自分で解決しようとしているアスリートもいるのではないかということ。

アスリートがメンタルヘルスで悩みを抱えることや何か症状があることはおかしいことではない。一人ではない。いま、言いたいこと(言えること)はここまでだ。今はまだ、わたしも自分で経験しながら、学び、言語化し、実験しを繰り返している。でもこれがこの先、この経験も、色んな人のためになるようなものになればいいと思っている。もっと上手く言語化して、もっと寄り添い方を見つけて、人と同じようにできなくて苦労している人や、悩んでいる人の光になるような何かを生み出せればいいと思う。

終わりに

2年くらい前から考えていたことが、今日歩いていた時に、言語化できそう!と思ったので、夕食後にガーッと書いてみました。ベン図のように、ちょっと重なって、そして違う2つのトピック。(※ここにあるものは、全て私の考えです。学んできたものを、最終的には私というフィルターを通して書いているものなので、必ずしも科学的根拠などがあるといったわけではなく、個人の経験として書いています!)いつか、もっと上手く言語化して、メンタルで困っているアスリートの光になれるような寄り添いができたらいいなと思っています。複雑でスーパー読みづら文章だったと思いますが、今日も読んでくださってありがとうございました♡ 読んでくださったあなたにとって、今日も明日も明後日も、素敵な日々でありますように♡

月咲





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