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#7 【独り言エッセイ】未知の場所にいるという衝撃的な感覚。

昔から読むことや書くことが大好きだけど、最近はまた特に、読む・書くことが自分の癒しの時間になっています。と、いうことで今日はいつもと違うテイスト(ですます調じゃないだけ)で。本当に何のレッスンもメッセージも特にないかもしれない、独り言のような記事です。

衝撃的な感覚〜5年前のエピソードを添えて〜

「あ、この感覚」
海外にいると、自分は自分の生まれ育った場所とは違う異国の地にいることをフッと思い出す瞬間がある。不思議なものだ。それは、日本に帰ると無かったことのように忘れてしまう瞬間でもある。だから毎回新しい場所に来るたびに、「あ、そういえばこんな感覚あったんだ」と、初めてかのように感じる。だから今は、それがなかったことになる前に書いておきたい、それだけだ。

初めてこれを感じたのは、大学1年生の9月。初めてのアメリカの大学でのパーティー。当たり前のように、「今日は女子アイスホッケーと男子レスリングのミキサーだよ」という連絡がチームのグループで流れ、夜にテーマが決まったミキサー(女子と男子チームが一緒に部屋でパーティーする。割としょっちゅう、いろんなチームとミキサーしていた)が始まった。そもそもミキサーって何??テーマとは??何着ていくの??プリゲームって何??パーティーなんて初めてだけど???みたいな状況だったが、プリゲームとは、パーティーの前に小さなグループでお酒を飲み始めてあっためておく(笑)ウォームアップのようなもので、ミキサーとは前述したように簡単にいうと女子チームと男子チームの合コンのようなもので、パーティーとは、みんなお酒を飲んでいろんな音楽が流れて踊ったり騒いだり訳がわからなくなったりするものだということはその一晩で理解した。アメリカでアスリートをやっていた人だったら分かると思うけど、トップアスリートだから遊ばない、みたいなのはほとんどなく、強い選手も試合後の週末や何もない金曜と土曜の夜になれば、え、大丈夫レベルに騒ぎまくる。そして、それ自体がチームスポーツのカルチャーだったりするので、ほとんど飲めないしパーティーがわからない私も、最初はとりあえず顔を出してどんなものが知るということは必要不可欠なステップだった。基本的にミキサーなどは寮の部屋でやることも多く、大きな部屋を持っている上級生がホストしたりすることが多い。忘れもしない、その初めてのミキサーはアダムズハウスという寮(私が上級生になって入った寮)で行われて、チームでプリゲームを行った私たちは20名ほどでまとまって開催部屋に突入した。多分それが既に21時半とか22時ごろ。その頃には大体みんな出来上がっている。音楽はガンガン流れて、みんなソファーの上やテーブルの上に乗ってジャンプしたり、そして、とにかく人口密度がハンパない。ただでさえ広くないハーバードの寮に、これでもかというほどの人が入り、おそらくどさくさに紛れてホッケーとレスリング以外の人もいたり、で、私はもうそれは圧倒された。気が付いたら、何人かが乗って踊っていたテーブルは崩壊していた。チームの上級生が一度、外の空気吸いにいこう、と、外に連れ出してくれて、その後もう一度部屋に戻った。アダムズハウスは当時のハーバードの中でも一番といっていいほど古い寮だった(24年に1度改装される。アダムズは私が上級生の年に改装工事が行われた)。そのミキサーが行われた角部屋には、明らかにキャパを超えた人が踊り騒ぎ狂っていた。私は、音楽に合わせて、歴史と共にそこそこにガタが出始めているその寮の床が上下するのを感じた。そのグワングワン揺れる、いつ抜けてもおかしく無い床に乗せられながら私は、ふと思った。「私いま、アメリカにいるんだな」その感覚が割と衝撃的で、今も鮮明に覚えている。別にパーティーがアメリカを感じさせたとか、そういうことじゃない。その時に心によぎったのは何故かそれから1年前の高校3年生の秋で、別に秋に特別な何かがあった訳じゃ無いけれど、気が付いたら1年前には想像することもできなかった今を生きているのだ、ここはあの時私が知っていた世界からかけ離れた未知の場所なんだ、と実感させられたのだ。高校生の時から夢見た大学に入れることになり、渡米し、クラスが始まり、練習が始まり、割といっぱいいっぱいで必死で、アメリカに来たことすらハーバードに入学したことすら実感する余裕がなかった日常の中で、あの揺れる床が私の脳みそに「そういえば君いま、アメリカにいるよ」とリマインドしたのだと思っている。

思わずエピソードの方が長くなってしまった。でも、こういう瞬間は私にとって特別だ。ただ単に「異国の地に来たんだな」と私に思わせるのではなく、あなたの知らない世界がたくさんあって、あなたが息している今この瞬間も世界の別の場所では何かしらのドラマが起こっていて、だけど、別の世界線で生きてきたかもしれない誰かとどこかで出会ったり、自分がまたどこか別の世界線に移るかもしれないということを思い知らされる。

そしてただ、「私は外国にいる」と思うわけでもない。この大きすぎる世界の中にいろんな人がいて、まだ知らないことがたくさんある、ということに希望を感じる。自分が成長できる希望。自分がまだ知らない何かと出会ってここからさらに夢とか目標に近づけるという希望。これは私の今の自分の立ち位置を鑑みながらこじつけでそう感じているだけかもしれないけど、でも、それがモチベーションとかプラスになるんなら結果オーライだ。

こういう瞬間はふとした時にやってくる。アパートでフィンランド語しか話せない年配のご近所さんに会って挨拶して、ふと、この方はここにどれだけ住んでいて私とは違ったものを食べて違った世界を見て生きてきたんだな、と思う時とか。街を歩いていて、懐かしい香水の匂いがして、初めてアメリカに行った時に嗅いだ匂いだと思った時とか(その香水を見つけることがあったら絶対買ってしまう)。こういう懐かしさや新鮮さや不思議な感覚は、同時に自分を奮い立たせてワクワクさせる。

ただ、日本に帰った瞬間、この不思議な感覚だけは忘れるのだ。本当にパッタリ忘れてしまう。日本に帰った瞬間、住みなれて大好きなホームに溶け込むのと同時にこの一種の緊張感から生まれる特別な感覚とは一旦お別れになる。夢もある。目標もある。出会いもある。前にも進んでいる。だけど、この、未知の世界にいて不思議で気が引き締まる感覚だけは、異国の地で感じている「今」しか享受できない空気なのだと思う。

終わりに

文章が書きたくて、気が付いたら感じたことを本当にただ書いてしまう記事になってました。なんとなく、エッセイ風。もしツッコミや感想や共感やそれ以外のことがありましたら教えてください。みなさん今日も素敵な1日を♡

月咲




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