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『多夫多妻制論者』

当たり前の話だが、日本は“一夫一妻制”である。

というより、西アフリカ諸国や一部の国などは一夫多妻制を採用しており、それ以外ほとんどの国は一夫一妻制である。   それが世界の常識であり、スタンダードであり、倫理であり、美学であった。だから今の時代、人類にとってそれが最もポピュラーな文化として根付いているのだろう。

しかし、その常識や価値観というものは、時代ともに大きく変化するものである。

昨今のLGBTという言葉、概念が社会的に認知され同性婚を認めている国が沢山出てきだした。

これが30年前なら考えられるだろうか?気持ち悪いなんて表現する人は沢山いた。20年前なら?

レズ、ゲイ、バイ、トランスジェンダー多様性のある性はマイノリティーは、 本当は昔から存在していたのだろう。 それが時代と共に徐々に市民権を獲得し、やっとこの時代にこうして表舞台に立てる事になり、浸透し今に至ったのだ。

もう少し紐解けば、そもそも性自認自体カテゴライズされるべきものでないと気付いてるのは、未だにほんの一部の人のみである。まだまだこのしょーもない世間は、LGBTであるか、そうでないか、の2択しかない。ほとんどがそのレベルだ。

改元され平成から令和に変わった。昭和の男尊女卑の考え方から、平成に入り男女平等が叫ばれ、平成の終わりには、女性の雇用促進など、男女という枠がなくなり、世の中の同じ土俵に立つのに30年かかった。実際には無くなっていないが少しずつ確実になくなりつつある。そして情報化社会と言われ価値観のアップデートの速度はどんどん速さを増して行っている。全てが同じ土俵になる頃には、きっとLGBTはおろか、国なんて概念すらも溶けてなくなってるのだろう。そんな未来はもうそう遠くない。

そもそも国というのは、性質上管理したがる。そうしないと国として成立しないからだ。日本も法治国家である以上、結婚というシステムを採用し契約という枷でそれを守る。それがあるから、女性は安心して子を産み、男性は家庭を守るため働く、必然的に子孫繁栄して労働力が増える。すると国力があがる。このシステムがあるから管理でき国が破綻せずに済む。そう今までは。                                                                                       人口=生産力(GDPなど) は分かりやすい比例グラフだったが、この革新的な時代のもう少し先には、この2Dの比例グラフでは説明できなくなっていく。

最近の世間を賑わすワイドショーなどマスメディアは、とにかく不倫が大好きのようだ。正確にはこの国の大半の人間は不倫にとても興味があるのだろう。興味がなければ視聴率は取れずスポンサーがつかず番組として成立しない。  現実には出来ない理想的願望があるから、興味が尽きないのだろう。はたまた、シャーデンフロイデというやつなのか。結婚という契約縛りがあるから、出来ない不倫という行為。一種のやってはいけないからこそやりたい状態、「決して覗かないでください」と念を押されたにもかかわらず、我慢出来ず戸を開けてしまう『鶴の恩返し』や「絶対に開けないでください」と渡された玉手箱を開けてしまう『浦島太郎』つまりカリギュラ効果にオスの本来持つより多くの遺伝子を残すという生物学的本能が相まって結果として不倫が生まれる。

まだ今は、不倫=悪の図式を作らなければ崩壊してしまうシステムだが。そもそも論根本的に結婚というシステムを見直さなければならない時代になっていく。少子高齢化と叫ばれ国力は低下を辿る一方、反比例の如く晩婚化は進み、より拍車をかける。いくら2Dで表す事ができない未来が来ようとも母数が小さ過ぎるとより遠くなるはずだ。ならば、この“一夫一妻”を“一夫多妻”ではなく、男女何てカテゴライズせず、もっと大きな枠組みで“多夫多妻”というのも1つの制度として認められれば何らかの突破口になるのではないかと考える。

国が子供に対する手当を、どれだけ優遇しようが起爆剤としてはもう弱すぎる。かなり限定的な極論を言えば、子供を作り育て上げるという事はコスパが非常に悪くメリットがない。それだけ価値観や概念はもう変わってしまった。経済格差と謳われ加速する世の中で、経済力のない者は養う自信がないから子を作らない。そういう人間が増える一方で経済力があってもいくら子供が大好きでも一人の女性しか結婚出来ないなら子を作れないなら物理的生産能力は×1。もちろん人間は、国民は、ただの国の奴隷でない、機械でもロボットでもない。自由意思の元、恋愛しパートナーを見つける。そんな事誰もが知ってるし、否定派の言いたい事は分かってる。多夫多妻ならどうか、経済的に余裕があるものが多くの子を作る制度、倫理観が構築されればまた新しい未来が見える。

誰の子かや実子かどうか、DNA鑑定がある。遺産の問題などブロックチェーン技術がある。 もちろんやるからには絶対に不幸な子が産まれない仕組みを作りも必要だ。そもそも不幸かどうかなんて本人が決めるものだが。価値観が違うから倫理観が違う。まだまだ解決しないといけない問題は山積みだろう。そして新たな制度には、さらなる新たな問題提起も出てくるだろう。

いつの時代も必ず開拓者と呼ばれる人達は、みな否定されがちだ。ガリレオ=ガリレイやコロンブスもそうだ。新しい発見、技術、仕組み、アイデア。世に浸透しない革新的なものほど拒否反応がある。変化を嫌い恐れるのは人間の特性なのだろうか。それは元来人間のDNAに組み込まれてるのだから抗えるものではない。新しいものを受け入れ理解するまでとても時間がかかってしまう。

何より常識や偏見はその時代の価値観を反映して常に変化し続けている。

“一夫一妻”を否定してる訳でも廃止したい訳でもない。遠くない未来、今ある価値観は必ず溶けてなくなる。そんな固い枠は取り払ってもっと先を見据えるような自由な価値観の未来を望む事が果たして本当の悪なのだろうか。何故、皆がパートナーを自由に複数持つのが悪なのか。この独断と偏見の塊の意見が、多くの方の目に留まり、また新しい議論への起爆剤になる事を願ってならない。

拙い文章ですが、最後までご精読ありがとうございました。



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