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我が家のバイリンガル子育ての軌跡 #1 〜成長グラフと渡航前の英語教育〜
(こちらは姉妹版note で過去に掲載した記事です)
カナダに留学して1年が経過し、家では日本語、外では英語を使いこなす長女モモと次女ララ。
その英語力は渡航前はほぼゼロ。今でも現地の子どもたちには敵わない。が、学校や近所で関わる人たちと問題なく会話を交わす姿を見ると、これはもう「バイリンガル」と呼んでもいい状態なのでは?と思うようになった。
そんな我が家のバイリンガル子育て。親の気持ちが空回りしたことも多々あるが、失敗談も交えてお伝えしようと思う。
我が家の英語成長グラフ
まず最初に、渡航後、我が家の4人の英語がどんなふうに伸びたのか?について。夫カイにお願いして直感的な折れ線グラフにしてもらった。
![](https://assets.st-note.com/img/1713477809082-FQJkTohcEr.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1713477809095-MuAWXlNQ97.jpg?width=800)
家族間で共通の英語テストを受けたわけではないので、これはあくまでもイメージだが、子どもの伸び率のすごさに改めて驚く。それに引き換え、大人の苦しさが伝わるだろうか…
渡航前にはどんなことしてた?
乳児期の英語教材
受験英語をさんざんやった挙句大人になってみたら英語が使えないという、かなりスタンダードな英語力だった私。
子どもにはなんとしても英語を使えるレベルで習得してほしかったので、モモを妊娠中からベネ○セの英語教材(高かった…)を買って胎教として英語音楽やリズムのCDをかけて暮らしていた。
モモが生まれた後も毎月届く教材で、CD, DVD, パペット、絵本とありとあらゆる方向から英語脳を刺激してみたが、その後大きくなったモモに聞いたところ、かすかにDVDの場面を覚えているかどうか。正直あまり効果があるとは言えなかった(ちなみにこの教材で良かったことは、フォニックスの存在を知ったことと、親の私の英単語力が少しだけ伸びたこと。とほほ…)
ディズニー映画を英語で観せてみる(そして拒否される)
モモもララも、それぞれ2-4歳ごろは、ディズニープリンセス全盛期だった。毎日父親のカイを王子様役にして舞踏会。よくディズニー映画も観ていた。
それならばと、ラプンツェルやリトルマーメイドなどを英語音声にして観せようとしてみたが本人達から大ブーイング。すったもんだの末に結局毎回日本語で流すことに。
モモ 小一で小学校の英語のクラスが始まる
全国的な英語必修化の流れに沿って、モモの通っていた小学校でも、一年生から週一で英語の授業が行われることになった。
学校によっては公立校でも英語ネイティブの先生を外部から呼ぶようだが、モモの学校では、英語を担当するのはクラス担任の先生だった。のちのち二者面談の時に聞いてみたところ、その先生は特に留学歴もなく、いわゆる一般的な純ジャパの先生だった。
もちろん授業ではフォニックスなどするはずもなく、アルファベットの書き方の練習からスタート。モモによると先生の発音は完全なる日本語英語だったそうだが、クラスにいたアメリカ帰りのお子さんが先生の発音の間違いを指摘したところ、先生から「私の発音が正しいんです」と言い返される始末だった。
英語教室に通わせてみる
学校ではらちが開かなそうなので、モモ小一、ララ年中の時に近所の英会話教室に通わせてみたのだが、授業中ふざけてばかりで先生から失笑を買っていた。挙句の果てにはクレ○ンしんちゃんの真似をして先生に向かってお尻を突き出して遊んでいたので当然二人は私から大目玉をくらった。
モモ、英語のサマースクールに通ってみる
モモが小学二年生の夏。そのころには留学を決めていたので、試しに近所で評判の英語塾のサマースクールに通わせてみたところ、本人が初めてやる気を出した。
塾内は全て英語、が徹底されているところで、先生はフィリピン人やアメリカ人、帰国子女の日本人、などさまざまな方が在籍していて友達もできたのでモモは楽しかったらしい。
「私、これから外国に行くんだからがんばる!」という一言を聞いたときには涙が出そうだった。
ここで少し生の英語に触れたのはモモにとっていい経験だった。
カナダ到着!現地の小学校へ
カナダ到着後3週間ほどして、家から歩いて10分ほどの公立現地小学校に通い始めた。当時は車もなかったのですべて徒歩移動だったが、治安が良く街路樹もきれいな通学路は、モモ・ララのお気に入りだった。
敏感ちゃん HSC である二人は、当然新しい環境になじむのに時間がかかる。特にララは渡航前はほとんど英語に触れていなかったせいもあって、学校に行くのを数週間は嫌がっていた。
それでも、日本の幼稚園に行きたくなくてひっくり返っていた頃とは明らかに様子が違っていた。英語自体は分からなくても、学校の雰囲気が「ゆるい」からだろうか。なんだか居心地が良いようだった。
(次回に続く)
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