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大人になってからの勉強とは ~不登校で学べなかった、ある教科を学び直すアラサーの思い~

学生の頃までは教師から与えられた課題をこなし、テストで点数を出すことで、”勉強”の成果をはっきりと確認することができた。

しかし大人になって仕事をしながら、空いた時間に何かしらの勉強をする場合はどうか?

誰も褒めてはくれないし、テストで満点を取ることもない。
どんなに頑張ったところで、目に見える形での成果は出せないのだ。

では、大人になってから取り組む勉強の意味は何なのか?
正しい答えはないのかもしれないし、その問い自体がナンセンスとも言えるだろう。

ただ、情熱に任せ勉強する。
報われることは無くても、見返りを求めず、人知れず取り組む。
大人になってからの勉強とは、自己満足の究極の形と言えるかもしれない。

私自身は今、かつて不登校だった時代に学び損なった、とある科目の勉強に取り組み始めている。

動機は2つ。

必修科目にもかかわらず通信制高校の制度上、ごく簡単なレポートを提出し、そのままの内容のテストを受けるだけで単位を貰ったことへの後ろめたさを解消したい。

もう1つは、大学へ入ってからその科目に対する同級生たちの知識量に、全くついて行かれなかったという劣等意識の克服。

その因縁の科目とは、高校の【世界史】である。

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大学受験の際は日本史を選択した為、国内の歴史については自分なりに勉強していた。
しかし世界史については、年号もカタカナ用語も頭に入っていない。

学生時代は演劇を専攻していたが、必修の西洋演劇の授業ともなると、ちんぷんかんぷん。
毎回出席し真面目にリアクションペーパーを提出していたのに、落第ギリギリだったことを思い出すと今でもひやひやする。

そもそも世界史を学ぶ意義とは何か? 文部科学省の学習指導要領には以下のようにある。

 「地図、年表、資料などを活用し、諸地域の地理的条件や日本の歴史との関連に留意しながら、世界の歴史の大きな枠組みと流れを理解させ、文化の多様性・複合性に関する認識を深めさせるとともに、適切な主題を設定して追究する学習を一層重視して、世界史の学び方や歴史的思考力を培うようにする。」
参考:高等学校学習指導要領解説 地理歴史編|文部科学省
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2014/10/01/1282000_3.pdf

小難しいことを抜きにして、一言で言ってしまえば、

"外国の地理や歴史を学ぶことで、日本との違いを理解し歴史を正しく捉えてね!"

ということだろう。
当時は「不登校で世界史どころじゃねえんだ!」と叫びたかったが、大人になって新聞を読んでいると、イスラエルとパレスチナの衝突、黒人差別問題、北方領土問題といった同時代人として知るべき問題が山ほどあることに気づく。

そして思ったのだ。

他者と自分との違いや多様性を理解することが、衝突を回避する上で重要ならば、社会人こそ世界史を学ぶべきである。

今からでも遅くはない。

こうして私は、最新版の高校生向け参考書を購入し、目を背けてきた世界史と向き合うことになったのである。

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しかし、参考書を開いた私は愕然とした。

かなりの分厚さに加え、1ページ目には何と約400万年前の猿人「アウストラロピテクス」の図。

知識ゼロの私が、猿人から学び始めたとすれば、ナポレオンやリンカーンには一体いつ出会えるのだろうか……?

アラサーの前途多難な世界史学び直し期間は、こうして幕を開けた。

次回以降、そんな私の救世主となった世界史のテキストと動画をご紹介しつつ、どこまで学習が進んでいるかについてもお話したい。




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