障がい者自立支援センターモルフォってどんなところ??(コスタリカ種蒔日記)

 モルフォは、日本の協力で作られたラテンアメリカ地域初の障がい者自立支援センターだ。障がいを持つ人たちが一生家族に守られて暮らすのではなく、自由に好きな所に住んで、仕事に行ったり学校に通ったり、買い物やカラオケに行ったり…、障がいのない人たちが当たり前にしていることができるようにサポートする施設である。研修を受けた介助者たちがシフトを組んで、障がいを持つ人の手足となって働く。体がうまく動かないなら、着替えや入浴、料理まで、必要なことは何でも手伝う。でも何をどういう風にするか決めて指示を出すのは、あくまで障がいのある本人。介助者は言われたことを忠実にやるだけで、必要でないことまで先回りしてやってしまうことはない。障がい者と介助者は、脳みそと手足みたいな関係が理想なんだろう。モルフォはこのシステムをコスタリカに根付かせるべく活動していて、2016年には政府に働きかけ、自立推進法という法律を制定させることにも成功している。

 などと偉そうに書いているが、これらはみんな実際にモルフォに来てから学んだこと。それまでのわたしは、障がい者自立運動というものについてほとんど知らなかった。なにしろモルフォはわたしにとって、この留学を諦めかけていた時にたまたますくい上げてくれた場所であって、自分で目指して来たというより命からがら流れ着いたような所だったのだ。
 もともとわたしは、前回の国立公園ボランティア同様自然の中で働きながら、コスタリカの環境保全の取り組みについて勉強したいと思っていた。コスタリカは環境や平和の先進国と言われていて、国の面積の4分の1を国立公園や国営の自然保護区が占めている。国内で使われる電気をほぼ100パーセント自然エネルギーで発電していたり、核兵器禁止条約を各国の中心になってとりまとめていたりすることでも有名だ。実際にそういった現場で活動を手伝わせてもらいながら、現地の人たちに詳しい話が聴けたら楽しいだろうな、と。
 ところが今回は10ヶ月と長期間なこともあり、全盲であることがネックになって、なかなか受け入れてくれる場所が見つからなかった。受け入れ先が決まらないことには留学そのものができない。困り果てていたときに、「ここなら受け入れてくれるんじゃない?」と大学の先輩が教えてくれたのが、モルフォだった。
 正直、最初は気が進まなかった。自然を守る活動とは縁遠いように思えたし、自分に障がいがあるから障がい者運動の現場に行くなんて、なんというか、芸がないではないか。とはいうものの相変らず自然保護団体では受け入れてもらえそうになく、藁にもすがる思いでモルフォの日本人のプロジェクトマネージャーさんにメールをした。すると、「とりあえずうちに来て、それからこっちで自然保護団体なりなんなり情報を集めればいいよ」と。あっさり受け入れが決まったのだった。 
 うれしかったな。それはもう、跳び上がるほどに。向こうで具体的に何ができるのかよくわからなかったけど、なにはともあれこれでコスタリカに戻れる。後はもう、与えられた環境でできることをするだけだ。

 そうしてやってきた、モルフォのオフィス。
 わたしが着いたとき、オフィスにはスタッフと介助者が勢揃いしていた。わたしについてきてくれたカルロス含め、スタッフの半数は車椅子ユーザーである。オフィスと言っても、さほど広くない部屋の真ん中に大きな机がいくつか置いてあり、奥にキッチンと来客用の個室がある。許可を得て部屋の中をうろうろさせてもらうと、壁際には椅子やらダンボールやら使われていない車椅子やらが雑多に積み重ねられていた。つい先日街中からオフィスごと引っ越してきたばかりらしい。一見してカジュアルな雰囲気だった。
 落ち着いたおっとりとした声で話すモルフォの代表ウェンディ、男っぽい骨太な声が印象的なコーディネーターのカテリン、わたしの中の「南国の女の子」のイメージに一番近い、溌剌としてよく笑う介助者のアンヘリカ、そして唯一の日本人でありモルフォの立ち上げに関わったプロジェクトマネージャーのたけしさん。テーブルを囲み、モルフォファミリーのメンバーが次々に自己紹介してくれた。とても1回では声と名前が一致しなかったけど、みんなキャラクターが濃い感じがビシビシ伝わってきた。お返しにわたしも、覚えたてのウクレレ弾き語りを披露した。数少ないレパートリーである、Daydream Believer。このためにわざわざ自分の楽器を日本から持ってきていた。日本だったらとてもこんなこと恥ずかしくてできなかったけど、これから生活を共にするみんなに、上手くできない言葉以外の方法で、わたしのことを知って欲しかった。
 だけどそうするまでもなく、わたしの性格は一瞬でみんなに伝わった。ウェンディとアンヘリカが陶器のコップに取り分けてくれたアイスクリームを、わたしはうっかりテーブルから落としてしまったのだ。コップは粉々。当たり前だ。みんなは笑って片づけてくれたけど、わたしは真っ青。人間第一印象が一番大事だってのに、これじゃ「おっちょこちょい」確定だ…。もうみんな覚えていないかな。ごめんなさい!

 次の日は朝早く、カテリンと一緒にオフィスの近くに朝ご飯を食べに行った。昨日は雨だったのに、今日は恐ろしく暑い。わたしがここで暮らし始めた11月はちょうど雨期から乾期への移行期で、思い切り笑って思い切り泣く子どもみたいに、ぴかぴかの青空と土砂降りの雨模様が1日の中でも何度も交互に訪れていた。晴れているときは、太陽光が肌に刺さるほどカッカと照りつけてくる。湿度がないので、キャンプファイヤーで火に近づきすぎた時のような暑さだ。
 オフィスの傍にはカトリックの小さな教会があって、1時間ごとにボーン、ボーンと鐘の音がこだましていた。一帯は森が広がっていて、ひっきりなしに小鳥のさえずりが響いていた。キュルキュルキュル…と金属的なオオハシの声は特に印象的で、今もコスタリカの森のことを思うとき真っ先に耳の奥によみがえってくる。
 朝ごはんの間ずっと、カテリンと店員さんは何事か熱心に話し込んでいた。わたしにはほとんど内容がわからなかったのだけど、急に店員のおばさんがカテリンに名前を尋ねているのが聞えて、「え、この2人知り合いなんじゃないの?」と驚いた。オフィスの近くのお店だから、てっきりカテリンとは長年の知り合いで、だから積もる話があるのかと思っていたのだ。この2人に限らず、ここではよく道端で人々が声を掛け合っている。そして、長いこと親しげに話しているからてっきり友達なのかと思いきや、お互いに名前も知らなかったりするのだ。
 温かいところだな。それがわたしの、モルフォとペレス・セレドンの町に抱いた第一印象だった。

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