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傲慢な「障害者」だって…

 今日、ある書き込みを見て、分かると思った。

 映画館の車椅子席は最前列が多い。最前列は首が痛くなる。

 そういう投稿をしている人に共感した。

 夜になって見返したら、その人のツイートのいいねが50くらいだったのにいつの間にか5000を超えていた。

 共感した人が沢山居るんだ!と嬉しくなったが、その人の後の呟きに批判的なことは書かないでくれとあった。

 それらの言葉は見たくない言葉だった。簡単に言えば、来るなとか。

 だんだん傷付いてきた。確かに車椅子席は最前列だけにあるわけじゃない。映画館によっては後列にもある。

 災害が起きた時逃げやすい位置に席が設置してあるのも知っている。

 ただちょっとした不満を呟いたその人への返信は批判的なコメントで溢れていた。

 「映画館の大学生のアルバイトスタッフに車椅子だからと配慮させ、あなたはそのスタッフに配慮しないんですね」という返信にはグサッと胸を刺された。

 だから私たちは映画館に行かなくなったのだ。

 私は母が身体障害者になってから、何度我慢しただろう。それを嫌な思い出とか、あなたたちのせいで、なんて思わない。

 それこそ、まわりに配慮した結果だから。

 私はお城が好き。でもお城にはエレベーターはない。階段も急で、杖をついた人も車椅子の人も上がるのは難しい。

 だからといって私は「障害者に配慮しろ!エレベーターを作れ!」とは言わない。

 そのお城の歴史的な価値を知っているから。その一部を壊してまでエレベーターを作れとは考えない。

 一部には作れという人がいるのは知っている。

 元々人混みって苦手だったけど、母が身体障害者になってからはもっと苦手になった。小6くらいかな。

 その前までは日曜日だろうと人混み苦手でも外出した。母と歩いた。

 しかし以降は遠慮している。母の足を踏む人もいたし。

 結局人って、悪い所しか見ないよね。

 母が身体障害者になってから、これされてありがたかったと思ったことと、嫌だったこと比較したら、圧倒的に嫌なことの方が多い。

 母が病気になってから久しぶりに駅前行った。私が車椅子を押して。

 いつも行っていたお店に行く途中、これまでならなんなく歩いた横断歩道のちょっとした段差に上がれなくて私は苦労した。

 その時誰も助けてくれなくて、信号変わったらやばいと思って諦めようとした時。後ろから若い男性が助けてくれた。凄く感謝した。やってもらって当たり前だなんて思わなかった。

 あとはなんだろう。いい思い出が思い出されない。

 日頃、外に出ていつも嫌なことされてるわけじゃない。その日は誰かのちょっとした配慮があったのかもしれない。私たちも気付かないほど。

 だからこそ、嫌なことは目につく。それと同じように、健常者の中には障害者の嫌なことだけ覚えているのだろう。

 「私は街中で車椅子を見ても絶対助けない」という返信。

 車椅子ユーザーが皆して当たり前と思ってるわけじゃないのに。

 これはね、身体障害者と常に接してるリハビリの人でも分からない。

 どうして行かないの?やらないの?

 と聞くけど、当の本人がそうしないのは、過去に嫌な目にあったから。何か理由があるから。

 どうして出かけないの?足踏まれたから。車椅子で人にぶつかられそうになったから。転ばされそうになったから。

 日頃から接してる人でも理解が及ばないのだから、まわりに障害者がいない健常者には分からないよね。

 なんかもう嫌になってきた。こういう一部の傲慢な障害者の呟きが世界中に拡散され、あたかも障害者がみんなこうなのだというように思われる。

 もしそういうツイートの一連を見た人がいたら?その人は私たちが困ってても助けてはくれない。

 SNSってつくづく怖い。なんでこんなものできたの?せめていい使い方だけできないの?どうして色んな悪意が投稿されるんだろう。障害者だけじゃない。個人情報も、人の悪口も。

 中学生のとき、障害の作文で賞を貰った。誇らしかった。でもそれも今は誇らしいのかよく分からない。

 誰だっていつ障害者になるか分からないのに。どうしてそんな悪意に満ちてるのと思う。

 母だって突然なったよ。

 外に出るの嫌だってより怖くなってきた。

 近くのイオンに身体障害者やベビーカーのための契約駐車場がある。

 これも誰かはいらないとおもう?傲慢だと思う?混雑した日も、その契約駐車場だけは空いてるの、どう思うんだろう。

 色んなお店にある車椅子マークの駐車場。多目的トイレ。傲慢なの?

 某有名なレジャーランドは、車椅子の人は優先的にアトラクションに乗れるんだって。

 その話を聞いた時、私は「じゃあ行こう!何時間も待たなくてラッキー」なんて思わなかった。

 え、何時間も待ってる人を他所目に乗れちゃうの?申し訳ない。

 もし私が待ってる立場ならずるいと少しは思う。

 だけど障害者からすれば、何時間も他の人と同様に待つのは大変。だから優先的に乗れるのだろう。

 ただ、私はなんとなくそれがいいねと思われる気がしなくて。何時間も待ってる。お金も同じ額出してるのに。どうしてと思われる気がしてならなかった。

 ある美術館に行った時。1000円以上する特別展を見に行った。好きな絵本の展示だった。

そこの料金は無料だった。障害者とその介添え人は無料。

 なんでと思った。その後ろに並んでる人がいた。どう思ったかな。

 ある博物館。私の通う大学は博物館と提携していて、学生証を見せると無料で入館できる。

 私は何も調べず、私は学生証で無料で、母の分だけ払おうと思ったら、母は障害者なので無料で介添えの私も無料とのことだった。

 学生証を提示して無料ならこんな申し訳なくならなかった。だって提携してるんだもん、うちの大学だけじゃないもん、と思えたのに。

 それが障害者の介添えと言われた瞬間、いえ払いますと言いたくなる。

 てか払いたい。せめて本人だけにして欲しい。

 1000円以上もする特別な展示も無料なんておかしい。なぜ常設展より高いの?理由は明確。

 なのに私たちは常設展も特別展も無料。なぜ?

 障害者だから、と言うならやめてと思う。そうするたび、悪意を持つ人がいるから。

 本当に嫌だ。みんなに優しい社会なんてあるわけないじゃん。

 子連れ様とか言って悪く言う人もいるんだし。

 子連れの人だって、常識ある人沢山いるのにね。そういう人も悪い目で見られてる。

 ただこの人たちは子供がある程度成長するまでの話。障害者は一生だ。

 この世の中は、高齢者が杖をつき車椅子に乗ることは当たり前だと思う。それが少しでも若いと好奇の目で見る。なぜ???

 何がおかしいの????

 大学にも車椅子の人がいる。エレベーターはいつも混雑。彼女はなぜか列に並んでる。

 エレベーターの前に「車椅子の人や大荷物を持ってる人を優先的に」と立て看板があるのに。

 でもその人も、もしかしたら過去に嫌なことがあったから列に並んでいるのかも。自分は優先されるべきとエレベーターに先に乗るのは嫌なのかもしれない。そうして過去に他の学生に何か言われたのかもしれない。

 父が見たある大学の車椅子の学生さんはバス停で降りて、大学へ続く坂を一人で登っていったと。

 その間、助ける学生はいなくて、みんなその人の横を通り過ぎていったと。

 その話を聞いた時、ならうちの大学のあの車椅子の人も列に並ぶわなと思った。

 うちの大学は着々とバリアフリーになっている。しかし前の記事にも書いたが、まわりの人によってはバリアフリーがなんも意味しないものになる。

 エレベーターを優先的にと言っても、周りが我先にと乗れば優先の言葉は意味を持たない。立て看板も必要ない。

 私、今読んでる本で「人生は早めに諦めた方がいい」という言葉に共感したんです。

 だから私は何事も諦めている。こういう、障害者は傲慢だ!と言う人がいるなら、世の中もそうなんだろうと思った方が楽だ。

 誰も助けてくれない。私1人がどうにかせねばと思う。

 そうすれば期待もしないし、落胆もしない。

 もし、助けてくれる人がいればラッキーだと思う。もちろん感謝する。本当にありがたい。

 けどそれは稀なことだ。だから最初から諦める。

 もし杖をつく母の足を踏んでく人がいても、怒っても意味無い。差別的な人は治らないと思う。
 
 多様性とか言う世の中でも、同性愛者はキモイという人もいる。それはその人の思想なのだから、どうしようもない。

 障害者は傲慢、わがまま、自分勝手。もう思えばいいよ。

 なんか法律で、障害者を差別するのは禁止みたいなのがあるらしいけど。そういうのがより、傲慢だ!を助長するんじゃない?やめた方いいよ。なくしてほしい。

 お店が障害を理由に来店を拒否してはダメとか。迷惑だよ、こっちが。

 拒否されたらわかりましただよ。何でだよこの野郎なんて私たちは思わないよ。一部の人は知らんけど。

 諦めって大事。本当に。期待するだけ馬鹿だから。

 ただ傷付いたのは本当。最初は腹たったけど、これ書いてるうちに、そういう人は仕方ないと思えるようになった。

 もし、もし、障害者の人に優しい考えた方をする人がいたら、本当に嬉しい。

 でも大半はそうではないかもと思って生きていく。

 移動は私の車。交通機関もタクシーも使わない。乗ってる人の迷惑になりたくない。

 私は18になってすぐ免許取った。18になったらすぐ仮免の試験受けられるように17のうちに入校した。そしてすぐ取った。もちろん自分で出掛けたいってのもあったけど、やっぱり母の障害のこともあった。

 普段使ってたタクシーは優しい運転手の方が多くて。母が乗るの手こずってても待っててくれた。

 しかしそのタクシーを拾えず、別の会社のタクシーに乗ったら、その運転手は待ってくれなかった。

 母がまだ足を車内に入れてないのにドアを閉めた。当然痛がった。

 あ、すみません。と言われた。

 やっぱり自家用車って最高よね。そんな嫌な目にも合わないし、運転手に迷惑かけないし。

 諦め大事。これ絶対。

 

 


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