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4月某日

また一つ年をとった。

生後半年で実家2階の出窓から落っこちたものの、なぜか今なお健在。
ヨム日。私はこの日に生まれたことを結構気に入ってる。

いつも桜が先か誕生日が先かで新年度や新学期の慌ただしさで追い抜かれていく様な感じがする。

誕生日の思い出と言われ、すぐにピンと思い出すのは一大学生の頃、半同棲生活していた恋人の部屋で誕生日を迎えたある年のこと。
その日の天気は大荒れで、外に出ることもままならない。
それでも恋人が何か企てて祝ってくれるんじゃないかと期待していて、そうではないただの一日なのだと気づき、私はみるみる不機嫌になった。

その前の年は初めて一緒に迎える誕生日だったこともあってか、盛大に祝ってもらい、その幸せを上回ってくれない恋人に苛立ちを覚え、誕生日が大切だと訴え泣き、険悪なムードの誕生日となった。

それ以来、誕生日は自分で自分を盛大に祝うよう一人で過ごしてきた。
と思っていた。

今年、いま好きな人が誕生日を祝ってくれるという申し出を私は受け渋った。
そしてこういう経緯があって、私は理不尽な態度をとってしまうかもしれないと伝え、
それでも好きな人は不発弾のようなプレッシャーの中で祝ってくれた。なんとありがたいことか。

好きな人を見送り、帰路で記憶をなぞる。

恋人はその翌日、友人を呼んで誕生日会をしてくれたのではなかったか。
その次の年の誕生日も、またその次の誕生日も、恋人は当時できる目いっぱいで祝ってくれていたのではなかったか。
一人で誕生日を過ごすようになったのは社会人になって会う頻度が減り、別れた後からではないか。

ケンカをした誕生日のことばかりを覚えていた自分が情けなく、記憶が曖昧になっていくことはどうしても悲しい。
それならばカメラロールを見返せば分かることなのだけど、自戒も込めてひとまずやめにしておく。
今日は今この時を好きな人に祝ってもらったという他愛ない記憶をこぼさないように静かに過ごす。

帰り道、ひさしぶりに花屋に出向き可愛い花を買って部屋に飾った。

昨夜の余談。
ひと目見て気に入った、古着のスプリングコートはピンク色で、人と会う予定に来ていくのは勇気が必要だった。
しかしこの土地でスプリングコートの旬は驚くほど短い。
夜だし桜もまだ咲いていないしと着物の流儀に手伝ってもらいえいやと羽織って出かけたら、好きな人がたいへんに褒めてくれてとても嬉しい。

愛着を人に与えてもらうのは久しぶりの感覚でひとしおだ。


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