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ちゃんとしなければの呪い

ちゃんとしなければ、
ちゃんと成果を上げなければ、
こういう気持ちが強くなりすぎると、
私たちの心を蝕む。

ちゃんとしたいのに、あの人のせいで、
あの人がちゃんとやってくれないから、
あのことがなければ‥

自分でコントロールできないことまで、
思い通りにしようして、

心が窮屈になり、

他人対しても、自分に対しても攻撃的になる。

ちゃんとしなければの裏には、恐怖心がある。

責められるかもしれない、
ひどいことになるかもしれない、
生きてゆけなくなるかもしれない。

そうして、どんどん自分を自分で縛り上げて、
苦しくなっていく。

周りの人も離れていき、
何より自分が一番苦しくなる。

この曖昧な世界で、「ちゃんと」ってなんだろう。

私から見た「ちゃんと」は、
誰かから見たら「ちゃんと」じゃないかもしれない。

「ちゃんとしたい」の裏側には、
自分がちゃんとしていると思われたい、
他人から避難されたくない、
他人に迷惑メールをかけてダメなやつだと思われたくない、等、ギュッと縮こまるような思いもある。

キチンとすることで、自分自身が気持ちいいからというところで止まっておければ良いけれど、

自分の思う「キチンと」に他人を巻き込もうとすると、悲劇が起こる。

もしかしたら、「ちゃんと」してない人って、
器がデカイのかもしれないなあと思う。

他人も自分も抑圧しないでも受け入れることのできる度量の大きさがあるということなのかもしれない。

なげやりはまた別の問題だけれども。

コントロールできないことの方が多いのが
この世界だから、こうあらねばならないは、
なるべく手放したい。

多分愛とは、受け入れること。


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