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やまと絵展


上野で開催されている「やまと絵展」へ母と行ってきた。
※私は歴史とか歴史的価値のあるものに詳しくないので、この記事は、「やまと絵展」へ行って私が
感じたことをただ書いただけの記事です。

鑑賞前に、上野でお昼ごはんに中華料理を食べたら、美味しかったけれど、結構油分多めで、
若干、胃腸への負担が心配された。

チケット売場へ行くと、「やまと絵展」は、土日はチケット売場でチケットを購入することが出来ないということが発覚。
慌ててその場でネットで購入した。
(事前に調べておけば良かった。。
 でも観れて良かった。)

中に入ると、
思ったよりも多くの人が観に来ており、
展示をじっくり見ようと思ったら、
結構並ばなければならなかった。

じっくり見る人がなかなか動かなかったりするので、結構時間がかかる。

「やまと絵」は絵も文字もとても緻密で、
また、非常によく見ないと分からないものが多かった。

繊細で緻密な上に、長年の歴史により、紙の劣化も進んでおり、双眼鏡を持ち込んで眺めている者も
多かった。

私達は、最初、真面目に列に並び、順番にじっくりと、緻密な展示物を眺めたため、結構序盤で疲れが出始めた。

母にいたっては、私より老眼が進んでおり、
よく見えない上に、行列に並ぶという苦行に晒され、さらに昼ごはんに食べた中華が胃もたれを起こし始めて、少し具合が悪くなってきた。

「次は双眼鏡を持ってきた方がよさそうだね」
というと、「次はもう来ない」と言う始末だった。

母は、年齢のせいもあってか、
コンテンポラリー美術や、緻密な日本画等、
解読をするのに苦労を強いられる美術鑑賞へ行くと具合が悪くなる傾向がある。

これは良くないと思い、後半は、早足で観ていくことにした。

空いているところはじっくりと観て、
混雑しているところは隙間から覗いて観た。

後半は、大柄な絵の屏風や、絵もハッキリと大きい巻物などが多く、分かりやすい展示物に
段々と母も元気を取り戻してきた。

まあ、色々あった「やまと絵展」であるが、
展示されているものは、もちろん素晴らしかったので、印象に残ったことを書いていこうと思う。

まず、意外と文字は漢字で書かれているものも多く、ところどころ読めるものもあったことに驚いた。(もちろん私には意味は分からない。断片的に読めるだけ)

中には、文字を上から墨で消しているものもあり、
なんか人間味を感じた。
墨の濃さも統一されていて、綺麗に整った字を書く人もいれば、濃淡のある筆跡で、文字も大小様々という物もあった。

源氏物語を描いたものや、住吉物語、伴大納言絵巻や伊勢物語など、教科書で習ったものもあった。

ああ、ちゃんと誰かが紙に書いたんだなと、
教科書で見るより、なんだか国宝が少し近くに感じる。

文字や絵もすごいが、それらが描かれている紙も
素晴らしかった。金や銀や、貝殻の粉等で、緻密な模様が描かれて、光に反射してキラキラしている。

この紙に一番驚いたといっても過言ではないかもしれない。これは、実際に行ってみなければ分からなかったので、生で観られてよかった。

他にも、動物を擬人化した鳥獣戯画は、白黒だけど、動物がコミカルに描かれており、可愛いらしくしくて、面白かった。

昔の人にとって、現代でいう漫画的な立ち位置かもしれないと思った。

妖怪や地獄を描いたやまと絵もあった。
妖怪は、全然怖くなくてこれもまたコミカルだった。ゲゲゲの鬼太郎を思い出す作風である。
地獄の絵は怖かった。

私は、この鳥獣戯画と妖怪の絵が気に入ってポストカードを購入した。


コミカルな動物が可愛い鳥獣戯画のポストカード
愉快な妖怪達。こちらも可愛いポストカード


ストーリー仕立の巻物もあり、病気になった帝を助けるために、お坊さんがお祈りしたら、雲に乗った剣を沢山背負った童が現れたりする絵もあって面白かった。

巻物も、読んだら面白そうと思った。

他にも、雲に乗ったお釈迦様とか神様らしき集団の絵もあって、ありがたい絵だと思うけど、なんだか
可愛かった。(もしかしたらUFOとかを描いたものだったりして)

日本の四季や、松や生き物を描いた屏風は、風情と迫力あって、なんだかちょっと切ない気持ちにもなる。

金や銀を使っているのに、ケバケバしくならないのも、日本画の良さだろう。

夏木マリのガイドを聴きながら、マリと共に巡ったのだが、吉野の桜を描いた屏風は、桜を描いた最古の屏風ということで、1000年前も日本には桜が咲き誇っていて、それを美しいと感じていたのだなあと感慨深かった。

四季やそれに伴う人の営み、鳥や動物や植物、
生活や風刺、それらの絵を、実際に生で見ると、
ああ、人が描いたのだな、
1000年前の人も、今の人のも、
綺麗だなと思う気持ちは一緒だし、風刺もするし、日記もつけるし、空想もするし、救いも求めているし、何ら変わりないのだなと思った。

教科書で見ている時は、
別世界の何かのように感じていたけれど、
今を生きる私達と変わらない、
ひたむきに生きる等身大の人間の姿を観たようで、
良かった。

きっと、1000年後(そこまで地球があるか分からないけど、あってほしい)も、人間の根本は変わらないのではないかと思った。

1000年前を少し近くに感じた展覧会だった。




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