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村上春樹っぽい感じで浪人体験記

昔々、といっても2,3年前のことなのだけれど、僕はその時とても不思議な夢を見ていた。僕はそのころ18歳で、大学受験に失敗して浪人していた。実家から東京の予備校に毎日通うのは体力的にも精神的にもきつかったけれど、費用のことを考えると誰に対しても文句は言えなかった。

その人が現れる夢を見るのは決まって模試の当日だとかそれの返却日だといった大切な日ばかりであった。性別だとか年齢だとかは今となっては思い出せないけれど、いつも夕日の差し込む静かな教室の中で一人黙々と、鉛筆をナイフのようなもので削っていた。削りカスが床に落ちるのもおかまいなしに一定のリズムで黙々と削る様子は何か儀式じみていた。「わからないな、どうして君はわざわざ小刀で鉛筆を削っているの?」と聞いてもその人は黙々と鉛筆を削りづけた。机の上には短く削られた鉛筆とこれから削られるであろう鉛筆が几帳面に並べられていた。僕は別にやることがなくなっても人気のない教室の真ん中で鉛筆を小刀で削るなんてことははしないし、第一鉛筆は使わず、お気に入りのシャープペンシルを使うのが日課だった。僕は浪人の始まった四月にその人と会ってから、八月まで何度も顔を合わせた。

九月の暑い昼下がりのこと、僕が真面目に授業を受けていると隣の席の大柄な男がいびきをかいて眠っていた。「おい、起きろよ、さすがに怒られるぜ」と大柄な男に声を掛けると、そいつは煩わしそうに顔を上げ、僕を一瞥すると無言で欠伸をした。そして何かを思いついたように僕に打って変わって飛び切りの笑顔を見せると、顔を赤くした講師を横目に教室を堂々と出ていった。授業後、帰宅する大男に追い付いて「さすがにさっきのは肝が冷えたよ」と声を掛けるとそいつは「別に大したことではないよ」と人懐っこい笑顔を見せた。「あいつの授業は的を得ていないからね」確かそんな会話をしたと思う。彼はそういいながら腕時計に目をやると、少し早いけどご飯でも食べて帰らないかと僕に言った。

僕に人懐こい笑顔を見せた彼は結局、浪人時代の僕の一番の親友になった。予備校裏の駐車場で煙草をふかしていると彼には何でも話すことができた。(当時の僕は浪人しただけあって成績的には余裕があり時間を持て余していた)その中で僕は夢に出てくる、鉛筆を削り続ける人物の話を人懐こい彼にした。「よくわからないな、僕はそんな何かを削る夢を見ることはないし、君はその夢を見る。そこには何か精神構造上の違いがあるんだろうか」「そうだね、そうかもしれない。でもここの所、というより君と話すようになってからその夢を見なくなってきたかもしれない」確かに、彼と会ってからの数週間、その夢を見ていなかった。「それなら問題ないよ、僕が思うに重要なのはその人物が鉛筆を削っているのか、鉛筆がその人物に削らせているのかだと思うけどね。」「どいうこと?」「さあね」僕はこの言葉の意味を今でも自問しているが、真相は分からない。というのも人懐こい彼はこの数日後突然姿を消してしまったのだ。秋が深まり、冬の気配が近づいても例の人懐こい彼は予備校に姿を見せなかった。携帯電話で連絡がついても、彼は一向に自宅を出ようとはせず、「別にもう一浪してもいいや」が彼のメッセージアプリでの口癖になっていた。彼の不在と並行して僕の成績も少しずつはっきりと下降線をだどっていた。

センター試験を目前に控えたある夜のこと、僕は夏以来、久々に例の夢を見た。いつも通り夕方の教室の真ん中で鉛筆が削られている。調子のよい鉛筆を削るリズムをよそに僕は尋ねた。「一体何本の鉛筆を削るつもりなのですか、そんなにみんな短く削ってしまって持ち主に怒られないのですか?」
                   「これはあなたの鉛筆ですよ。」
あまりに突然だったので返答に困ってしまった。その人物は続けて「あと二ヶ月もあればすべての鉛筆を削りおわります。」と確かにそう言った。
朝目が覚めて僕は一番に机の上にある鉛筆を確認した。そこには夢にでてきた鉛筆はなかったし、削られてもいなかった。続く日もその次の日も同じ夢をみた。そして確実に机の上の削られていない鉛筆の本数は減っていた。

そんな調子で受けたセンター試験は結局失敗の二文字がどの科目にもふさわしかった。結果が分かった数日は落ち込んだが、逆にずっと目指していた大学にはいけないという事実が僕の肩を軽くした。逆に例の大柄な彼はとてもうまくいったようで意気揚々と僕にメッセージを連投してきた。躊躇せずにブロックしたのは今では少し反省している。

その後別に特筆すべきことは何もなかった。本当に何もなかった。僕は順当に滑り止めに合格したし、大柄な彼とも受験後、和解した。例の夢も、今日この文章を書くまですっかり忘れていた。所詮、凡人の浪人体験記なんてこんなものである。「おち」みたいなのはないし、あの夢がなんだったのか、何を意味していたのかなんてことは分からない。浪人していた時から歳月は流れていき、僕も大人になりつつあるが目を閉じるとかすかに遠くで鉛筆を削る音がする気がする。しかし、その音もゆっくりと日常に溶け込みつつある。




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