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療育に行く意味を考え、まとめる話

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note マップ – おがさんの絵本 (ogasan-ehon.com)

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ツイッターを見ていると定期的「療育に行く意味」について議論があります

私は療育に行く意義はとても大きいと思っています。まとめて以下に記述していきます


・幼少期から身体のベースを作ることができる

以前記事にした内容でもあるのですが、基礎的な身体づくりの運動は幼少期から行うのが良いのです

なぜなら、その運動は年齢を重ねたお子さんにとっては「幼い」と見えることが多く、「やろう」という意欲に

つなげることが難しくなっていくからです

お子さんが「楽しい」と思って身体を動かすことが一番大切なので、その時期を逃さないようにしたいのです


・お子さんの失敗体験を減らせる・どうすればいいかすぐに伝えられる

お子さんは基本的に失敗して学んで成長していきます。しかし、特性が強かったり、障害のあるお子さんは

その失敗から学び取ることが難しいことが多いのです

幼稚園や保育園といった大きな集団の中では、大人の目も足りずに、矢継ぎ早に起こる失敗に対応できないケースがほとんどです

結果として、それが誤学習につながり、その誤学習を別の行動につなげるのに時間がかかったりします

失敗体験を放置にならざるをえない環境よりも、適宜適切な対応を伝えられ、成功体験を積み上げていける少人数の療育の方が多くの学びにつながるのです


・ご家族が孤立しない環境の提供

療育の現場では、家族の懇談会や、親子通園などで同じ悩みを抱えたご家族と繋がりの場所になるケースが多いです

また、しっかり業務をしている療育の現場こそ、そういったシステムを作る役割を認識して活動に組み込んだりしています

お子さんの障害、発達特性の強さで悩まれているご家族の一番の天敵は「孤立」です。「子育て」全般にも言えるかもしれませんが、
やっぱり、「相談できる人」の絶対数は少ないのです

様々なお子さんの様子を職員や他のご家族に聞くことで、情報共有をしながら「一人で悩む」ことを防ぐ手段となります

これが一番重要であると私は考えています

・その子を知ってる人を増やす

これはもう支援というよりも、人の「情や縁」の話です

お子さんはこれからも成長し、その中で様々な人と関わっていきます。

子どもから大人になるまでの過程で、ご家族以外の「お子さん自身を知っている人」「関わった人」が地域にいることはとても大切なのです

言語化が難しいですが、「無関心でいられない関係性」の構築だと思っています

社会がもっと成長して、人の目や声がもっと優しいものになることが望ましいですが、それでも、「人と人」は関わることでお互いを知ってることは、福祉や手助けを受ける入り口になると考えています


・チームでの視点を得られる

子どもと関わる上で、私もたくさん失敗したし、良くない声掛けや対応をしてきました。

それに気づけたのは、やはり様々な職員との会議や研修を通しての学習だったりします 

一人で行う子どもとのかかわりは、自分の視点に偏るし、間違っても指摘してくれる人がいません

その期間が長ければ長いほど、「自分はこうやってやってきた」という凝り固まった視点や、後戻りできない精神状態になります

「この声掛けは良くないのではないか」

「この声掛けや関わりが良かった」

「失敗だった」

「上手くいった」

こういった思いや知識、技術、視点をチームで共有、実践していけたからこそ「自分の力」となりました

支援員とご家族の立場や、状況は違います。同じことができるとは思っていませんし、する必要のないこともあります

ただ、そういった現場で吟味された関わりを教えてくれる場所に言って様々な方法を学ぶことはとても有意義であると思っています

・社会資源への繋がり、相談の窓口

地域にある福祉施設や、支援のある場所を我々福祉関係者は「社会資源」と呼んでいます

よく聞かれるのは、「どうやって支援につながればいいのか分からない」という声ですが、療育の場にいることで

自然にその繋がりをもつことができます

ご家族が必要な支援は何か、求める支援はあるかをすぐに相談できる場でもあるし、就学や服薬、ライフイベントなどの転機でも

すぐに相談できる環境にいることは意味があると考えています


・まとめ

私の意見ではありますが上記のようなことが、「療育」や「発達支援」にご家族が関わる「意味」だと考えています

ただ、質の悪い支援者に当たってしまうことで、支援に意味を見いだせないご家族がいることも知っています

それは福祉の力不足であると思いますし、福祉に携わっていた者として申し訳ない気持ちです

この記事で少しでも前向きに考えていただけたらなら嬉しい限りです


正直に言うなら、本当は社会全体に上記のような役割や意義を理解する人がほとんどになって、福祉が必要なくなることが理想かなぁって思っています。目指すところはそこかな~って(´・ω・`)


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以上になります

これからも少しづつ投稿していけたらと思っています。
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