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狭間の子供

床も壁も白い大理石の部屋がある。30畳ほどの広さで清潔感があった。耳を澄ますと地鳴りのような低い音がかすかに聞こえた。部屋の一辺にステンレス製の扉があり部屋には相応しくない異物感があった。

「ジリリリリリリリリリ・・・」

大理石の壁の奥から、けたたましい音が鳴る。その音を聞きつけた黒い服の人々が部屋に集まってきた。ステンレス製の扉が音もなく、ゆっくりと開いた。
黒い群衆から子供が一人、扉の中へ入っていく。扉の中は初夏の気温で薄暗い。オレンジ色の蛍光灯が長いテーブルの上に置かれたものを照らす。それは祖母の頭蓋骨だった。

私が6歳の時に祖母は心臓の病で55歳で亡くなった。両親の厳しい教育で育ったため甘やかしてくれる祖母が大好きであった。初めて人の死に出会い、戸惑い、「大人になりたくない」と言って泣いた。

この時から「自分はなぜ生まれたのか」という疑問を抱くようになった。朝から夜遅くまで仕事で不在の父、自分の苦労話を話ながら私に家の手伝いを強制する母、弟は無邪気に遊んでいる。外へ出かけると近所の見知らぬ子供から「自分の家の花を取っただろう」と言いがかりをつけられ、自転車を排水溝へ落される。「ブス、デブ、ブタ」と心無い言葉を投げつけられる。
「なぜ祖母以外の人はこんなに優しくないのか?」と、ぼんやり考えていた。

しばらくすると幼稚園でも家でも一人で絵を描くことが増えた。今思えば安心する場所を祖母ではなく、絵の世界に求めるようになったと思う。この時期から「何か」が視えることも増えた。

「何か」を具体的に表現するならば、その時によって形態が異なっていた。ある時は天井の隅で半透明の蜃気楼のような空気の靄が蠢いていたり、黒い塊が床の隅をものすごいスピードで駆け抜けていった。またある時は黒い背の高い人型の何かが扉の上部から頭だけ覗かせているときもあった。不思議と怖い感覚はなかった。生きている人間のほうが騒がしく荒々しく怖かった。

幼稚園の卒園間際。夜に家で過ごしていた時のことだった。珍しく父が早く帰ってきた。普段は家で待つ母と弟が、父を迎えに外へ出て行った。私はいつも通り家で絵を描いていた。夕飯前だったのですぐに戻ってくるだろうと思い、そのまま絵を描き進めた。夢中になって絵を描き進め完成にこぎつけた。気が付くとまだ家族は戻ってきていない。
1時間程度は戻ってきていない感覚だった。カーテンをよけて窓から外を確認するが異常に暗く、人の話し声はおろか気配すらしなかった。
不信に思い、外へ出てみようと玄関へ向かった。私は体が硬直した。

我が家は玄関から台所に続く短い廊下があり、玄関に向かうと台所が視界に入る。私が玄関に向かった際、誰もいない家の台所に全身真っ黒な子供が立っていた。
真っ黒なため顔の表情は見えない。ただ確実に目が合っている感覚があった。自分と似た背丈で男の子だろうと感じた。5分程度経過した後に真っ黒な子供はふいと右手へ歩き出し姿が見えなくなった。

私の耳には心臓の音しか聞こえなかった。硬直した体をじわじわと動かして台所へ向かう。真っ黒な子供が向かった先は壁しかなかった。壁の前で呆然としていたら、家族が帰ってきた。

私は無事に幼稚園、小学校を卒業した。真っ黒な子供はあれから1度も観ていないが「何か」を視る感覚は徐々に強くなった。視覚だけではなく聴覚、触覚で「何か」を感じることが増えていった。

友達も数名出来たが中学の時でも「生きている人間は怖い」感覚も抜けなかった。30名足らずのクラス内で気の合う人間と群れて、誰かの悪口を言い合う。当人がそばにいる状態で「当人の気持ち悪いところ」を大喜利形式で言い合う。授業中に特定の人の悪口を話し合う。
幼い子供が虫の脚を引きちぎるのは違った残酷さがあった。
小学校卒業前に「絵の勉強ができる学校に行く」とすでに進路を決めていたため、中学は私の人生の中で価値のない時間だった。進学できる程度の学力をつけ、そこそこ学校に出席し、内申点目当てで生徒会にも参加した。

中学3年の秋ごろ、クラスの悪口の標的が私に向くことがあった。朝に投稿すると自分の机が釘で刺した後のような傷ができていたり、下駄箱に画びょうが入っていたことがあった。怪我こそしなかったが、悲しい気持ちに浸った。
このことを母に言ったとて自分の苦労話に差し替えられることは予想できたので、誰にも言うことはなかった。このような状況が1か月程度経過した日、登校時に中学校が近くなると胃のあたりが痛くなったり、目の前がちかちかするようになった。ストレスが体調に現れるようになった。進学のため、学校を休むわけには行かなかった。

いつものように人気の少ない学校の裏門から登校していると急にめまいがした。壁に寄りかかっていないと歩けないぐらいだった。なんとか前に進んでいると私の正面に見覚えのある姿があった。幼稚園の頃に出会った真っ黒な子供だった。じっと立ったまま私を見つめていた。私の体はじりじりと壁を使って前に進んでいたが、前のめりになって倒れた。
小さな手が倒れる私の体を支えてくれる感覚があった。

はっと目を覚ました。
私は倒れていなかった。長い時間が経過した感覚があったが、1分も経過していなかった。
真っ黒な子供は姿を消していた。頭は少しくらくらしていたが歩くのに壁は必要なかった。
そのあとも私を含め何人かの人間が悪口の標的にされていたが、無事に進学し、中学を卒業した。

私は真っ黒な子供のことを、親しみを込めて「坊ちゃん」と呼んでいる。中学の例の件以来たびたび私に顔を見せてくれるようになったからだ。真っ黒であった姿も徐々に色味を帯びていき、今は生きている人間と同じように視えている。実家を出て一人暮らしをしている家にも遊びに来てくれる。

中学の影響で地元の成人式には出席しなかったが、後悔はしていない。今でも生きている人間のほうが怖いので、一人でいるほうが楽である。一人で人生の最後を迎える際、きっと坊ちゃんがそばにいてくれると思う。他人から視たら死神かもしれないが、私から視たら古い友人だ。こんなに心強いことはない。すべてをやり遂げたあとの私は、友人の迎えを楽しみしている。

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