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もしパンが余っていたら、その時私は

 都内を歩くと、繁華街や多くの人々が乗り継ぎをするターミナル駅で、ホームレスの方を見かけることがあります。ダンボールを布団代わりにし、何日も洗っていないであろう衣服に汚れや汗が染みついている。その姿を見ると、彼らが普通の生活を送っていないことは一目瞭然です。

 慌ただしい通期時間、そんなホームレスの方が視界に入ってきても、つい視線をそらしてしまいます。同じように、通勤中の多くの人々もホームレスの人々を自分たちの日常生活から遠ざけるように、視界から排除していく。

 心のどこかでチクンと。さも当然のように人々がホームレスを無視している。本当にそれが正しいのでしょうか? 彼らを無視してしまって良いのでしょうか?

 ホームレスの人々と自分たちの間の境界線は、実は薄いのかもしれません。私たちはいつ自宅を失い、路上生活を送ることになるかわからない。

 もちろん、彼らを物理的に直視することが、彼らにとって失礼な行為になることも理解しています。ただ、じっと見つめることが興味本位であるというのと、彼らの存在を見過ごすことは別の問題ではないでしょうか?

 以前、こんなシーンを見たことがあります。通勤ラッシュ時の駅内で、帰宅途中の男性が手に持っていたパンをホームレスの男性にさっと差し出し、お礼の言葉に軽く頷いて去っていきました。

 はたしてそのパンが、たまたま自分が食べきれなかった余りなのか、彼のために調達したものかはわかりません。もし前者だったとして……。一つ分かっているのは、私がもし同じように余っていたパンを手に持っていたとして、そのようにホームレスの方にお渡しするのにはとても勇気がいることで、容易ではないということ。

 余ったパンをお渡しすることが失礼に当たらないか、哀れみをかけられることが必ずしも彼らにとって嬉しいことだとは限らないではないか、などぐちゃぐちゃと考えてしまいます。自分の醜い部分もまざまざと見せつけられているようで……。結局余計なことを考えずに、彼らの存在を無視するのが心の中が安寧。多くの人が同じように、自分の心を揺さぶられるのがいやで、考えるのを諦めて無視してしまっているのではないでしょうか。

 これは非常に難しい問題です。ホームレスの方とどう関わっていくか。個人で何ができるか、社会がどうあるべきか。答えは簡単には出ません。まず、心の焦点を外さないこと。これが、まずひとつ大事なことではないでしょうか。少なくとも彼らの存在をたしかに認識すること。

 かといって、興味本位とならないように、私たちが何をできるか、考え続けることが大切。そんなことを自分の肝に命じていきたいです。

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