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標的

別役実「マッチ売りの少女」
この作品は、日米の関係を描いたものだとする
論説もある。

貧しく、身体に障害を持ち(弟)
性的虐待の過去を持つ(女)

一方で、暖かい家に暮らし
性的搾取に何らかの形で加わり(男)
それを傍観した者(妻)

日米に限らず、被害者と加害者の構図が
はっきりとここには現れている。

後半、仲間であったはずの女と弟は
食料のことで揉めはじめる。
女は弟の腕をねじりあげる。

まるで赤軍派の内ゲバだ。
その後に続く女の言葉は
まさに総括!という雰囲気が漂っている。

みんな我慢しているのです。
お前は恥ずかしいとは思わないの?
何故わたしの云うことを守らないんです。

もうひとつ印象的なことがある。
それは、女と弟が決して
夫婦を責めないことだ。

性的虐待、また身体の虐待を受けた。
それを思い出して欲しい。
そう言い募るのだが
決して、責めることをしない。

責めてはいけない、とお姉様がおっしゃった。
だから、責めるわけにはいかない。

そう弟は言うのだ。

問題の発端を責めず
弟の腕をねじりあげるのは
問題の本質からずれているのではないのか。
皆そう思うだろう。

そうなのだ。
そして、我々はこの現象を
何度も繰り返し見たことがあるはずだ。

あさま山荘事件に見られるような
赤軍派の同士に対するリンチ。

国会で飽きるほど繰り返される
自民党と野党の 
足を引っ張りあっているのか
助け合っているのか
まるでわからない言葉のゲーム。

それらはすべて
標的が違っている。
その一言なのだ。

別役実はその「ズレ」を
明確に描いてみせている。
安保闘争時は、共産党にいて
その後離れた彼のことだ。
確信犯に決まっている。

標的をあらわにせよ。
真実、責められるべきは誰か。
おそろしいからと言って、逃げ続け
身内を傷つけても
ただ血が流れるだけだ。
しかもそれは、自分の血である。

血の流れない生き物がいる。

そこに向かって、立ちたいと願う。

飼うには賢すぎる猿たちが
何を考えているか
本当は知りたいに違いないのだ。

女と弟は
夫婦を責めない。
それは、おそれや計算だけでなく
彼らのやさしさによるものでもあるのだ。

日本では、両親とは敬うべきものである。
そう告げるように。

天使のような彼らの
倒れた姿に
わたしは自分がどうしたらいいか
教えてもらうことが出来る。

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